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コロナによる自己意識の高まり
こんばんは。えいヒレです。
みなさんいかがお過ごしでしょうか。
私は絶賛?体調不良が続き、思考がよりまとまらなくなっている状態です。変な天気が続いていることも関係しているんでしょうか。
さて、今日は、先日コロナとファッション消費行動の関係を調べる質問紙に答える機会がありまして、その中で気づいたことを皆さんと共有したくて筆を取ろうと思いました。
コロナが流行る前に関心を持っていたカテゴリーと、流行った後に関心を持ったカテゴリーを選択する欄がありまして、
直感的に答えていたのですが、流行る前は、アウターやボトムス、靴等でしたが、流行った後では、インナーやルームウェア等を選択していました。
そこで、「あれ、そういえば、インナーとか部屋着にこだわるようになったなあ」という気づきがありました。
コロナが流行る前、言わば普通の暮らしの時は、友人と会ったり、恋人と会ったりするため、お洒落をすることを楽しんでいましたが、コロナが流行りだしてから、外に出る機会が自然と減っていき、お洒落を楽しむなんてことがとても少なくなっていきました。
人の目がある分、やはりアウターやボトムス等、目に見える所に意識を向けていましたが、人と会わなくなってきたら、だんだんとインナー(基本的に、インナーはユニクロのエアリズムやヒートテック、無印の白T等を着ていましたが、今は気になるブランドさんのウールT等を着るようになっています。)や部屋着等、自分の身体に一番近い所に意識を向け始めているなあと。
極論なのですが、人は他人と会うことがなくなってしまうと、自然と自己の方に意識が向いていくのではないかという考えを持ちました。(服好き限定かもしれません)
人の目がなくなってしまうと、自分自身を見つめるようになり、自ずと自己の感覚に敏感になるのではないかなと。
思えば、私の幼なじみは、全く服に興味はありませんが、機能性や着心地を誰よりもこだわっていました。彼は、Going my wayな方なので、人の目なんて全く気にしていませんでした。
私は自分の自己表現としてファッションを楽しんでいますが、ただただ着飾りたいだけなのかもしれません。人にどう見られるのかを気にして生きていますので、外身を繕おうと一生懸命になっている部分も少なからずあると思います。
ただ、人と会うことが少なくなって、お気に入りの服が着る機会が減っていることには悲しみを覚えます。その時に、「あ、私は服が好きなんだな」と勝手に安心したりしてます。
話が脱線してきたので、戻したいと思います。
色々と書きましたが、ここで言いたかったことは、他人の目がなくなる(意識しなくなる)と、自然と自分の内側に意識が向きやすくなるのではないかと言うことです。
コロナが流行って、人と会えなくなって、なんだか嫌な気分になったりもしますが、自分自身と向き合える時間でもあるなと思ってからは、こういう生活も必要だったのかなとも思います。
おかげで、自分自身と自分の身体と対話をする時間が生まれて、新たな発見ができましたし、身体が求めているインナーを着ることによって、今までより一日をより快適に過ごすことができている気がしています。
皆さんはどうでしょうか。コロナになる前となった後では、服装や自分自身に関して変化はあったでしょうか。
いつか、こんなこともあったねと、こういう生活をしたからこういうことに気付けたよ、なんてお酒やおいしいご飯を食べながら話したいですね。