【小さな物語】聞こえなくなった
その女の子は、気がついたら、色々な物の声が聞こえていた。
マグカップなどの食器、テーブルや椅子、ぬいぐるみ・・・。
様々な物と秘密の会話を楽しんでいた。
しかし、その女の子が成長し、もはや大人の女性になっていくと、声は聞こえなくなっていた。
徐々に聞こえなくなったのではなく、気がついたら聞こえなくなっていた。
勉強、習い事、遊び、忙しくしているうちに、物と言葉を交わせることを、その子は忘れていた。
ふと、大人になって思い出したら、いつの間にか声は聞こえなくなっていたのだ。
彼女は、子供の頃の妄想だったのだと結論づけた。
ある日、彼女は友人の家に呼ばれ、お茶をご馳走になっていた。
仕事に疲れ、ぼんやりとしていると、友人ではない、何者かが語りかけてきた。
「随分と疲れているみたい。たまには、ゆっくりとお茶を楽しんでみたら?」
友人は席を外している。では、誰の声だろう。
彼女は驚き、あたりを見渡した。
誰もいない。でも確かに、何者かが語りかけてきている。
そして、はたと気がついた。
声をかけてきたのは、今自分が触っているティーカップだ。
「あなたが話しているの?」
彼女は小さな声で尋ねた。「そうよ」と同じく小さな声でティーカップが返す。
彼女は、ティーカップに話しかけている自分をおかしいと思いつつ、それでも気になって更に話しかけた。
「どうしてあなたは喋れるの?」
「私たちの持ち主は、とても私たちを愛してくれているの。それで、ずっとお礼を言いたいと思っていたら、いつの間にか喋れるようになっていたの」
友人は、とても物を大切に扱い、丁寧に暮らしていた。
彼女は、ティーカップの言葉を聞いて、思い出した。
自分の両親も、物を大切に扱っていたこと。
家にあるものは全て愛情を持って扱っていた。
そんな両親を見ていた彼女もまた、大切に丁寧に扱っていた。
しかし、彼女は成長し、色々なことに気を取られるようになった。
その間に、物を大切に扱う気持ちも忘れ、親元を離れて一人暮らしをするようになってからは、安物を買い、雑に使用して壊れたら捨てて新しいものを使うような暮らし方をしていた。
声が聞こえなくなったのは、大人になったからじゃない。
物を大切にする心がなくなってしまったからなんだ。
友人が、いつの間にか戻っていた。
「この子たちは、私が愛情をかければかけるほど、私の生活に寄り添ってくれるのよ。決して高級な物ではなくても、使う人の思いにきちんと応えてくれる」
お暇した彼女は、真っ直ぐ家に帰り、家にある物たちの点検を始めた。
汚れている食器は磨き、部屋中の埃を払い、丁寧に拭きあげた。
いつかまた、家中の物と秘密の会話を楽しめる時が来るように。