尊敬する上司は、患者の悲しみにきちんと泣ける人で、研修医が抱える緊張にはその場を和ませるユーモアがある人で、そして誰よりも命に真摯に向き合っている人。
「死」に納得ってするときが来るんだろうか。医学生となり親戚や友人、知り合いから相談を受けることがあり、「こんな病態かな」と話すことはできるけれど、それと本人や家族の心を癒すことは別な気がする。「死」に納得はできないし、前の向き方も私にはわからない。
自分の中身を知られるのが怖いから、肩書や経験で周りを何重にも覆いたくなるけれど、その全く真逆の生き方をしている、何にも縛られることなくありのままの自分をさらけ出している人に、ふいに接したときに、とたんにどうやって接していいか分からなくなる。
『今日ちょっといい?』と急にLINEして、仕事終わりなのにも関わらず深夜23時から2時間も相談にのってくれる友人(ゴメンネ)。いいところも悪いところも、忖度なく助言してくれる友人。こんな友人たちに囲まれていることが何よりも尊いなと思いながらお風呂に浸かる。いつもありがとう。
東京が恋しかったあの時は毎週のようになんとなく空港に行っていたけれど、気が付いたらそんな習慣もなくなっていた。久しぶりに空港に行ってみたら、あの時のような寂しさを全く感じなくなっていて、こうやって人は一つずつ何かを手放して進んでいくんだなと思ったら、なんとなく寂しくなった。
どうして12月31日になると、ヒトは、もしくは私は1年をを無性に振り返りたくなるのだろう。別に振り返るのは誕生日でも、1年の半分の6月30日だっていいのに。 でもそんな私は、12月31日が1年の中で一番好きだ。あの師走のようなあわただしい感じとか、1年終わるなーってみんなが感じている様子とか、いつも混雑している通勤電車のガラガラぶりとか。(ちなみに山口に来てから1回も通勤電車にのっていないので、7年前の話になるけれど) 2023年は、いい意味であっという間に過ぎていった1
2023年が終わるまで今日を入れてあと2日。この時期になるとあっという間に過ぎていった1年を私はいったいなにをして過ごしていたんだろう、とあっけにとられる。 来年は東京を離れて6年。なんとなくだけど、東京にはもう帰らない気がしている。(とかいって何年か後に戻っていたらごめんなさい) 東京は魅力的で、人も情報もすべてが集まっていて、刺激的で楽しい街だからこそ、私はその圧倒的な楽しさに飲み込まれてしまいそうになる。 東京にいた時間、出会った友人や知識は、30代の自分を間違い