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~人生を俯瞰して見れる~100年カレンダー壁貼りタイプ


20年ぐらい前に、

家族で旅行に行ったときに泊まった、

公共の宿、『Qkamura』(休暇村)のお土産コーナーで売られていました。


壁に貼られている見本を見ていて、

何だか不思議な気持ちになって、

衝動買いしてしまったカレンダーです。


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縦103cm × 横73cmの大きさで

全体像の写真を見ると
淡く色分けがされていて、
1本の木の絵になっています。

現在のあたりは、上から3段目。

一部、赤くなっていますが、
これは、自分のメモとして赤丸を付けたものです。

言うほどのことでもありませんが、
取っている新聞を読めなかった日・・・。

ところどころ読んでいますが、
もう3年も読めていません。

ちょうどフリーランスで働き始めた時からです。

働いていなければ時間をもてあまし、
働くと時間が足りない。

(noteはやっていながら~)

いつか隠居することになって、莫大なる自由な時間を持ったら、

一日に、その日の新聞と、読めなかった新聞を2日分読めば

けっこう早く読み上がるし、

現在と過去を比較できるのも良いかな、と。←実はこれはこじつけ理由です。

目を通さずに処分した、本来なら縁のあった情報を
諦めきれないんですね~。

これは縁が無かったんだと思えばいいのにー。


このカレンダーは

旅行に行ったときの、子供たちの歳から逆算してかんがえてみると、

ちょうど、このカレンダーの始まりの年、

1999年から2001年ぐらいの間限定で、売られていたものだと
思われます。


このnoteを読んでくださっている人の中には、

1段目にはまだ生まれていなかった方もいるかもしれません。

婆にとって、この20年は、あっという間でした。

ついこの前、みたいです。

あっという間!


婆がこのカレンダーの最後の段まで生きたら、
いくら寿命が常に延びてるとはいえ、
現在の最高長寿を優に超えていますから、

それはないでしょう。

だから、婆は、このカレンダーの中のどこかで寿命が訪れるわけです。


この辺あたりは、まだまだ元気かな?
この辺あたりは、もうこの世にいないんだ・・・。


そう思うと、何だか残された自分の人生を見わたしているようで、
不思議な気持ちでした。

悲しいでもなく、哀しいでもなく、『不思議』。


地球を丸々上から見た宇宙飛行士さん達がいますが、

丸々、100年間を一目で見ている。

また、自分の限られた時間を見ているという気持ちでもあります。

自分の死ぬ日は、この中のどれだろう。


いつか芸人さんが、番組の中で
ほんものの棺桶の中に入って、棺桶の釘まで打ち付けられるという
体験をしてたのがあって、

出てきて、「いやぁー、なんか意識変わった・・・。」と
いつもらしからぬ、神妙な顔で言ってたことがありました。

なにか、それにちょっと似た心境かもしれないと思います。

(棺桶に入る体験って、実際にあるんですってね!)


普段使いのカレンダーは、
あくまで事務的に見ているものです。

頭に浮かぶのは、予定のこと。

楽しい予定、気がかりな予定。大事な予定。

先に待っている、楽しい予定の日の数字を見て、
ワクワクすることなどは、よくあるものでしょう。

でも、そのカレンダーを見たと同時に、
自分の意思とは関係なく、突如、”自分の寿命” という意識が頭のすみに
湧き上がるというようなことは、あまりありません。

この100年カレンダーは、見る度に、
ふわっと、それが頭の中をよぎります。

そうすると、身が引き締まるというか、
さっきの話の芸人さんも、そうであったのではないかと想像するのですが、

かっこいい言葉で気恥ずかしいですが、

限られた、かけがえのない時間を精一杯生きたい!

って、まさにそんなかんじの思いになっていくわけです。

で、その時はそう思うんですけど、

いつもこのカレンダー、丸めているので
また忘れちゃうんですね。

貼っとくと、色が褪せるのがいやで

赤丸をまとめてつける時だけ、出してきます。

赤丸付けてるときは、アセアセ忙しく、
全体を見ていないので、目の前のことだけで
そんな思いを忘れています。

今回はnote用に写真を撮るために貼り付けました。



婆には、病気で早く亡くなった母、
それから、その後、婆を育ててくれた母がいて、

二人の歳を超えました。

父は86歳でいきましたから、

せめてその歳も超えたい!目標超えられたら、御の字~、と思います。

それと主人の母は健在なので、まだ言えませんが、
主人の親と、私の親と、全員の回忌法要をしっかりやって、

(ちょっと〆が所帯じみて、線香臭くなりましたが)

脚本家の橋田壽賀子さんが生前言ってらしたように、

「いついっても、悔いなし!」

と言い切れる人生だったら、こんな良いことはないなぁと思います。

それでも、婆にしてみれば、80代半ばまで生きられた、としても、
カレンダーの真ん中ぐらいなんですよ。

あせる~。

100歳の人って、80歳から20年も生きられてるんだから、すごい。
20年って、もう一つも二つも、なにかできそう。学べそう。

思えば、五千円札に印刷されている
樋口一葉さんは、
24年半の生涯でありました。

あ、でも、そんなことからは離れて、20年、ゆっくり空みたり花みたり
山みたりも、佳きなり、嬉しきことなり、です。♡

それもまた麗しき哉。



何はともあれ、寿命は人それぞれのなか、婆としては

とりあえず『 ピンピンころり 』を目指して、

75歳で自動車免許返納して(←(※注)都会に住んでいたら)

そして、できるだけ歩いて、

ついこの間まで続いていた、長い長い年月の、昔の人たちの不便を
身にしみて、

昔の人凄いって思いながら、

ラジオ体操日課にします。(←ピンピンころりに大変良いみたいです)


そして、ぼけないように・・・、

ぼけ封じの神さま仏さまを参拝して、お願いし、



新聞読んで、頭をはたらかせようと思います。