熊野の旅 再び 【その3】(最終日)
高野山を出発し、宿へ向かいます。
初日、今日の宿は紀伊半島南端の、『休暇村 南紀勝浦』です。
ここは、婆が前回一人で熊野の旅をした時に利用した宿で、
大体どういう宿かわかっているから安心で、ここからの海も、娘と孫に見せてやりたいと思い、選びました。
本当はその日は、途中の地点でいったん宿を取りたかったのですが、
満室で取れませんでした。
ナビ通りに運転し、
途中から国道168号線になって、後はそのまま真っ直ぐ南下です。
途中、車に水しぶきが降りかかった地点があり、
結構な迫力だったので見てみたくなり、少し先で車を停車して、その箇所に歩いて戻り、見てきました。
車はほとんど通っていなかったので、それが出来ました。
孫が寝ていたので、婆と娘と、ひとりひとり交代で見に行きました。
しぶきの量も勢いも凄かった気がして、今これを書いていて、どういう状況でそのしぶきがかかっていたのか、婆はさっぱり覚えておらず、
ただイメージ的には、やや離れた所の上の方の滝?のような所からここまで運ばれ、絶え間なく上から降りかかってくる印象で、
そんな所なんて、どこ?とグーグルマップで探しましたが、わかりません。
娘に電話で聞いてみると、
「橋の上だったと思う。ダムから飛んできた。あれ超こわかった~💦!」
と言うのですが、ダムなんてあったっけ?
ダムから飛沫がそこ (一般道 ) に飛んでくるなんて、あり得る?
道との高低差的にも、そんなことあり得るの?
と思いましたが、とにかく飛沫が来ていたことだけは確かです。
娘は荒めのミストという言い方をしていました。
道路上のその箇所だけ、かなり広範囲でぬれていて、
その日の天気は雨ではなかったし、ひょっとすると、それ以前に結構な雨でも降ったかして、何らかの水量でも増えたのでしょうか?
後で娘から「場所、多分ここだと思う。送るね。」
とメッセージがきたので、添付してみます。
地図上の表示では、ダムから橋まで500m以上あります。
そんな事ってあるのかな?
婆には、しぶきの元は、道路からせいぜい50mぐらいの距離というイメージでした。
しかも自分の首を上げて見上げた、上の方からと…..?
( 婆の記憶 ↑ は当てになるものではないと、今回つくづく思いました…..💦)
添付しておいて、言うのも申し訳ありませんが、
実際本当のところ、ここかどうかは定かではありません。
(娘は断言していましたが…..。)
車に戻り、この後さらに南下して行きます。
今回の旅の間、熊野三山は、もちろんすべて伺いました。
宿に向かう経路の途中に鎮座される、熊野本宮大社には、この日に伺ったのか次の日だったのか、記憶が曖昧になっています。
・・・・・、
一人の旅の時もそうでしたが、この時も写真は1枚しか撮っておらず、
その写真にしても、旅先の背景ではなく、孫が後部座席のチャイルドシートに座って航空会社からいただいたオモチャを掴んで遊んでいる写真のみで、場所の記録には全くなっておりません。
はっきり言って、娘も婆も、写真を撮る余裕がなかったんだと思います。
仕事ではなく旅行ですから、そんなことはなさそうですが、
やっぱり娘も婆も、赤ちゃんもいて気が張っていたのだと思います。
話は逸れますが、
主人と行楽へ行くと、要所要所で主人は必ず写真を撮り、
婆に「ちょっとここに立って。」と指示し、シャッターを切ります。
「今度は私が撮るよ。」と交代しようとすると、「いい、いい。」と言って自分の写真は殆どありません。
最初は、「やだ、この歳になっても婆の写真を撮りたいのかしら。」と勘違いしていましたが、
ある時、主人が、
「どこへ行ったか記録にちゃんと残しとくっていうのは、案外大事なんだよな…..。こういう事ってやっぱ必要だよなー。
後々絶対撮っといて良かった、となるんだよ。大事大事☝。」と、
撮った画像を確認しながら、自慢気に言っているのを聞いて、
あら、主人は記録を取りたかったのね。
それで、家族との行楽なんだから、背景だけを写すより、人物も入っていた方が、よりbetterだからね。
なるほど、背景が【主】で、人物は【従】ね。
と直感し、
そう言ってみたら、
「いやいや・・・💦」と、ハッキリ否定もせず、図星の顔をしていました。
これが孫が被写体となると、にこにこ♥と【従】と【主】がひっくり返るのですが。
どうりで、嬉しげでもない事務的な無表情で素早く撮っていたものだったゎ・・・。
そう思いながらも、今回の件で、主人の言うことも、
「確かに、さもありなん。」と実感したのでした。
脱線しましたが、閑話休題。
その日の宿に到着。
夜ご飯は、孫がおとなしくしていなかったため、
婆と娘は時間差で別々に食事をし、
どちらかが食べている時は、どちらかが夕食会場の外の、子供用遊び場で赤ん坊と時間をつぶし(まだお座りが出来ず、ほとんど抱っこ💦)、食べ終わったら交代し・・・というようなフローで、
また、孫はまだオムツも取れていないので、
温泉風呂も、一人が入りに行っている間に、一人は部屋であやし、
戻ってきたら、交代というような流れになりました。
遊び場の時はまだ良かったのですが、娘がお風呂に行って、
部屋で婆と2人っきりになると、お母さんがいなくなって不安なのか、最初から最後までギャン泣き💦で、かつてのベテランお母さんである婆も、
どうすることも出来ない、ただただ立って、オロオロ抱っこして娘の帰りを待ち望む無力なお婆ちゃんと相成りました。
明けて次の日、
まずは、ほぼ同じ所に鎮座される
『熊野那智大社』と『青岸渡寺』、
『那智の滝』と『飛瀧神社』へ行き、参拝しました。
こちらを回るにあたって、どこも必ず階段があり(と言うか階段の連続💦)、ベビーカーは役に立たないどころか邪魔になるので、初めから持ち出さず、
娘は抱っこひもで孫をずっと抱っこしなければならなかったので、大変だったろうと思います。
婆が代わろうにも、一度抱っこひもを外し、婆に付け替えなければならない、その手間の大変さを考えて、娘は一人で頑張りました。
そこで気がついたことは、
神社仏閣、特にわざわざ目的を持って行くような神社仏閣は、こちらと同様、結構長い階段があるところが多いもので、
(日本は、山にある神社仏閣多いです。)
ということは、
テレビでしょっちゅうやってる、足の関節痛サプリのCMで、
「お陰様で効いています!もうこれがないといられません!」などとコメントされている方々はシニア世代以降の方が多いワケですが、
下手すると婆もあと20~30年ぐらいして、お陰様で無事元気だったとしても、この熊野の地に再び訪れること、出来るのであろうか?ということを考えました。
もちろん、登山家でスキー選手でもある三浦雄一郎さんなどは、
一度病気を乗り越えて、電信柱から次の電信柱まで歩くのさえキツイ段階からリハビリと訓練を重ねられたそうで、
70才、75才、80才とエベレスト登頂を成し遂げ、
さらに90才での、富士山登頂を成し遂げられた訳ですが、
それは婆を含め皆なが、出来る出来ないにかかわらず、大変勇気をいただけたことでありました。
もちろん現実、婆はそこまで出来ませんし、
富士山にしても、ご来光を求めて登った知り合いの方々の苦労話などを聞いて、まだ若干この歳にして、
大好きな富士山だけど、もう見るだけでいい、てっぺんまで登らなくてもいい、
と決めたぐらいですから、人のことは言えず何なんですが、
今もし、主人のお母さんを熊野の聖地に連れて行きたい、
また本人もこの歳になって初めて行きたい✨と思った!…ところで、
もう行けないことは明らかなのです。
(理由は足🚶。体は元気なのですが、歩きが小股で不安定で転びやすい上にすぐ疲れてしまう。)
だから標語→
【神社仏閣、いつでも行けると思うな、今のうち】
です。
(伊勢神宮と出雲大社は、大丈夫なのではないかと思います。一部階段があるところはありますが。)
さらに本当かどうかはわかりませんが、
どなたかの文章で、
「人は死んでしまって魂だけになったら、その魂は神社(神道)の結界をくぐって神社の中には入ることは出来ない。
鳥居を通って神様にお会いできるのは、肉体のある生きている人間でいる間だけ。」
と書かれているのを読みました。
ホントなのでしょうか?
だったら、なおさら行けるときに行っておきたいものだと思いました。
行きたい時には時遅し…で行けないっ💦となる前に・・たくさん・・・。
…..そう悟った後、
婆にとりましても、初めての熊野那智大社に「よいしょっ」と到着し、参拝させて頂きました。
階段を上りきった所にある、『熊野那智大社』。
上り切った達成感、開放感なのか?景色の素晴らしさなのか?土地の清々しさなのか?参拝者の皆さんの雰囲気も大変明るく感じられ、賑やかな気があふれている印象でした。
こちらでは、熊野の神様のお使いである、三本足の八咫烏の像が目を引きます。
本殿のお隣に、八咫烏をお祀りしているお社もありました。
娘と婆も、何だかワイワイと楽しく歩きながら参拝。
樹齢800年以上のご神木の大楠があり、その根元が空洞になっていて、
その空洞をくぐる『胎内くぐり』もしてきました。
とにかく、何だか明るくって賑やか!
自然に笑顔😊、楽しい気分で参拝してきました。
そちらから少し離れたお隣にある、仏教の『青岸渡寺』。
ぐっと雰囲気が変わって、観音様のお寺です。
本堂は彩色の施されていない木造の、年月を経た建物で、
その年月が風格を生み、
それまでの参拝の方々の思いや眼差しが本堂に積み重ねられているような、
その思いを受けるような、ぐっと身が引き締まる威厳がありました。
豊臣秀吉が再建した本堂ということです。
お堂の中も・・・。
一歩足を踏み入れると、重厚な重みを感じ、
婆達も気を引き締め、その場と同じような厳かな気持ちになって、手を合わせて参りました。
また敷地内、朱色の三重塔は、
那智の滝と並んでカメラに収まる、美しい絶景スポットとして有名です。
(…..写真、撮りませんでした💧)
そこから坂道と階段を降りて、『那智の滝』と『飛瀧神社』に向かいます。
娘も孫も初めて見る『那智の滝』。
神様の瀧です。
孫にとっては、生まれて間もない段階で初めて目に映す滝。
その滝が神様の瀧であるなんて、祖母としてこんな有難いことはありません。
忘れてしまうでしょうが、事実は変わりません。
いつか伝えてやりたい。
覚えていなくても、全く記憶に残っていなくても、無駄なことはひとつもなく、意味のないこともひとつもなく、人の計り知れない深いところに、きっと確かに存在し、種となってくれていると思います。
この後、再び車に乗って『熊野速玉大社』に向かい、参拝しました。
そして、1.5kmほど離れた所に鎮座される『神倉神社』。
車だとすぐお隣と感じる近さです。
こちらは、参道が超急傾斜の階段で、無理だろうなーと思っていたら、そのタイミングで雨が降り始め、
それでも、階段下、登り口の鳥居の所まで行って娘に見てもらったら、やっぱり【孫を抱っこして】は無理ということで、鳥居の所のお賽銭箱の前で祈りを捧げて参りました。
雨は、神様が、
前回の婆のへっぴり腰参拝を見て、
さらに娘は赤ちゃんも抱っこしているし、
今日は階段を登らないでいきなさい、とお計らいくださったように感じてしまいました。
車に戻り、昨日来た道を今度は北上して戻って行きます。
世界遺産の『つぼ湯』に行ってみました。
雨が降っていても屋根があるから大丈夫と思い、
婆は前回入っているので、
「今回はあんただけ入りなよ。
赤ちゃんは抱っこして待ってるから。」
と、抱っこひもを装着して待っていましたら、娘が戻ってきて、
「川の水量が高いから、今日は中止なんだって。」
ということでした。
婆は入らないながらも、せっかく来たのに、とがっかりし、
「願掛けがもし叶ったら、今度はパパさんと一緒に来て、お礼参りをした時につぼ湯にも寄って入りな。」
と言ってやりました。
その日は、熊野本宮大社の近くに宿泊し、
翌朝、朝食後チェックアウトして玉置神社に向かいます。
スムーズに玉置神社の駐車場に到着。
娘が孫を抱っこして、参道の山道を歩き、玉置神社の本殿に着いてお参りをしました。
その後、さらにその奥へ進み、三柱神社の前に出ました。
雰囲気に緊張し、
「今日は参拝が出来、ありがとうございました。」と、手を合わせました。
さらに登り、玉石社に着き、
ここは重要な場所であると、いろいろなところで言われています。
お参りをして、柵の外から石の敷き詰められた中をよくながめました。
そのあたりで娘が、「これ以上は無理。」と珍しく今回初めて自分から言い、疲れたようなので、引き返しました。
玉置神社の本殿を過ぎたあたりで、男の方とすれ違い、なんだか疲れた様子で、
「玉置神社までは、まだかなりかかりますか?」
と尋ねられたので、
「もう、すぐそこですよ。」
と答えたら、その方の顔がパッと明るくなって、一気に元気になった感じで、
「そうですか~!よかった!ありがとうございます!!!」
と言われて進まれて行きました。
事実を伝えただけなのに、こちらの方が良い事をしたような気分になってしまいました。
駐車場に着くと、さっき疲れて辛そうだったのに、ここからは運転したいと娘が言うので、?でしたが、
娘は運転が好きで、もう回復したから運転したいと譲らず強く言うので、交代して、そこから伊勢まで娘の運転で行きました。
二見興玉神社で、その日は砂浜も現れ、海が穏やかだったことで、孫の足を海水につけ、みそぎのような事をし、
こちらも孫には初めての海。
驚いて足を平泳ぎ、カエルのようにピョコピョコさせていました。
そういえば、こちらの境内には蛙がたくさん置かれていました。
その後、伊勢神宮 外宮へ伺い参拝し、
参拝後、ここでも娘は調子が悪くなりました。
よく法事の時の食事のことに使われる『精進落とし』という言葉がありますが、本来は精進(参拝や修行など?)をし過ぎて、一時的に一気に本来の人間の波動より高くなってしまい、体的についていけず、体調が辛くなって、それを敢えて落とす(低める)為に、四つ足の動物のものなどを食べて、自分の波動を落として体を回復する、事らしいんですが、(←これは、別の方の記述を婆が読んだものです。)
娘の場合はそれではなく、頑張りすぎた疲れだと思います。
まだ産後1年たっておらず、旅程中もずっと孫を抱っこして、階段を登り、
婆も、娘が玉置神社の玉石社で疲れを口にした時以外は、ずっと元気だったので、それに甘えて気づかず配慮が全く足りませんでした。
悪かったなあ、申し訳なかった~と思っています。
マジでごめん😢m(_ _)m
ちなみに2021年8月6日のnoteに、
【真夏には冷たいお味噌汁飲むと生き返るよ!】というような記事を上げているのですが、その時の【具合の悪い娘】のエピソードは、この時の事です。
最後に・・・、
この日の宿の駐車場に着いて、車を降り、荷物を抱えて、3人で宿のエントランスまで向かっていた時、娘が急に、
「あ、お母さん、あれ見て!私・・・、お願い叶わないかも💧」
と言いました。
言われた方を見ると、真っ正面の空に、大きな大きな✕(バッテン)の飛行機雲がドーンとそこに在りました。
それを見たとき、これは婆のほうだ。娘ではない、と瞬間的に感じわかりました。
瞬間、落ち込んで暗くなったけれど、何でもないふうに、
「大丈夫、あれはあんたではないよ。多分お母さんの方だよ。」
と言うと、
「えっー、私だよー。」と娘は言いました。
「大丈夫、あんたではないから。」
「そうかなぁ・・・。」
これでこの会話はおしまいになりましたが、こんな会話が交わされたのは理由があって、
ずっと以前に、同じ様な出来事があったのです。
それは、娘が高校受験の時の事で、
娘は第一志望の県内の公立高校の他に、チャレンジで県外の高校も受験していました。
その県外の高校の合格発表の朝、
合格発表を見に行く為に、娘は出かけていきました。
玄関で緊張した娘に「大丈夫、大丈夫!」と励まして、
「行ってらっしゃい。😌」と送り出し、
洗濯物を干そうとして、2階のベランダに出てみると、真っ正面の空に、今回と同じ様な飛行機雲の✕(バッテン)が、空いっぱいに大きく 描かれていたのです。
それを見て、流石にいい気持ちにはなりませんでしたが、たまたま偶然のこと、飛行機雲にはよくあること、気にしないようにしようと思って、無理に考えないようにして家事をやっていました。
娘から電話があり、結果は…..娘はその県外の高校に通うことはできませんでした。
その後娘が入学した高校は、娘にはとても合っていたようで、親としては、まぁ良かった、なんだかんだ、その子に合ったところに決まるものなのかな、などど思ったりしていました。
その時に、その飛行機雲の話も娘にしていたので、娘はその話を覚えていたのだと思います。
婆も、見た瞬間すぐリンクしてしまいました。
そして婆の感じたとおり、今回の旅の、娘の願いは思っていた以上の良い結果で叶い、
婆の願いは叶いませんでした。
きっと、熊野の神様は事前に知らせて下さったのだ、ととらえています。
その伝え方でさえも・・・。
・・言葉なしで婆が即座に解るような・・・。
未来の事はわからないけれど、
どんなにしても叶わないこともあるのかもしれないし、
叶わない方が良い、ということも、あるのかもしれません。
それは、ずっと後になってわかることなのかもしれません。
子育て中は、お世辞にも良いお母さんとは言えなかった婆で、特に一番先に生まれてきた娘には、婆も人として未熟で(実は今も…💧)、悪かった、申し訳なかった・・・ことが多々あったのですが、
娘と、赤ちゃんの孫と行った今回の熊野の旅は、婆にとっては、かけがえのない思い出となりました。
( 孫はこの日、この宿で、何かの動きの拍子に、偶然『お座り』になってしまい、赤ちゃんながら、自分でも何が起きたのか、わからないような、キョトン(・_・)とした顔で笑っていました。)