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天使?聖母?のイメージ 映画『プロミシング・ヤング・ウーマン』ネタバレあり 死の意味 ~映画イラスト~

プロミシング・ヤング・ウーマン(2020年製作の映画)
Promising Young Woman 上映日:2021年07月16日製作国:イギリスアメリカ上映時間:113分
監督 エメラルド・フェンネル
脚本 エメラルド・フェンネル
出演者 キャリー・マリガン ボー・バーナム ラヴァルヌ・コックス アリソン・ブリー

元Fで現在CのO

なんか先日起きた元Fで現在CのOの事件を思い起こしますね。

何年も前の犯罪だけどそれが時限爆弾のように爆発する。
しかも何回も。

償っていれば時限爆弾を抱えることはなかったのか
いくら償っても小さな爆弾は抱え続けるのではないか

周りの傍観者も同じではないか

どこまで何が正しいのか

そもそも犯罪しなきゃいいんだけど。。


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『プロミシング・ヤング・ウーマン』四コマ映画→ http://4koma-eiga.jp/fourcell2/entry_detail.htm?id=2755

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昼キャリー、夜キャリー

昼のキャリーはほとんど無表情で生気をなくした表情。しかも「天使」や「聖母」のイメージと重ねられるショットも多い。それはおそらく女性たちが期待されているイメージ。天使、聖母。自分の人生をなくしているのにもかかわらず、それを背負わされている彼女。

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夜のキャリーは打って変わってイキイキした表情。でも楽しくも幸せでもない。痛快なんかじゃ全然ない。

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でも、昼も夜もキャリーは全然自分じゃない。おそらく、私らしく生きることに罪悪感を持っていてあえてそうしないようにしているのでしょう。


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『プロミシング・ヤング・ウーマン』四コマ映画http://4koma-eiga.jp/fourcell2/entry_detail.htm?id=2755

プロミシング


映画史に残るジャンル分け不能映画

主演のキャリー・マリガン曰く「この映画は、ラブコメ悲劇で笑えるスリラー」と言っているくらいに、ジャンル分け不能映画。

観ていても痛快であり、苦しくもあり、悲しくもあり、スカッとするようで、たくさんの大きな引っ掛かりを抱くような、複雑な気持ちになりました。

というのも、主人公が正義の人ではないし、この方法が正しい方法だとも思えないから。「よっしゃ!やってやれ〜!」という応援の気持ちにもなれない。

じゃあ彼女はどうすれば良かったのか、僕には案を出せない。。
「そういう、事を荒立てるようなやり方は良くないと思う。もうちょっと上手いやり方があるんじゃないか」みたいな一番言いたくないクソコメントしか言えない。。

そもそも僕はキャリーから「私のやり方間違ってるかしら?」って相談受けたわけでもない。相談受けたわけでもないのに「そのやり方どうかと思うよ〜」って助言するなんて ほんとにおじさんクソコメンテーターじゃん。。

で、単純に復讐の話だけだったならまだしも、普通の恋愛話も突如始まるので、、「どうやって見たらいいの?何をゴールに決めたの?」と困惑。。。

自分の頭の中で何かを思ってもその180度逆の言葉で反対されて、全然一つの感想に落ち着かない。落ち着かせてくれない。

スカッと爽快映画よりも、輪郭線の描けないエネルギーの塊みたいな映画の方が威力はあります。
多分20年くらいはこの映画は威力を発揮し続けると思いますよ。
映画史に残ると思いますし。


女性監督 エメラルド・フェンネル

「イーストウッドの映画には母と娼婦しか出てこない」という話もありまして。

映画の中で描かれる女性像の単純さはとても問題。
大体「男の何か」。
母なり妻なり彼女なり、男がいて初めて存在するキャラクター。
しかも薄っぺらい。
主役(男)と物語に都合よく、最初は主役(男)に反対しておいて中盤では見守ってラストでは主役を褒め称える役。

そんな薄いキャラクターのシナリオから役を膨らませて演じている女優さんたちの労苦よ。。。
女優さんたちの力や魅力があるから豊かな人間に見えてきますが、シナリオだけで見たらほんとに都合のいいキャラが多いですよ。

(菅田将暉主演の映画『キャラクター』での妻(高畑充希)のキャラも酷かったですね。。。。)

近年はだいぶ改善されてきましたし、多くの女性監督によって多面的で誰とも重ならない女性キャラクターが多く見られるようになりました。


「女性監督ならでは」

「女性監督ならでは」という言葉もなかなか使うのが怖い言葉ですが、、、僕が思う女性監督ならではの特徴は、ヌメヌメしてないってのがあると思っていまして。ちょっと映画というものを突き放したようなちょっと距離を置いているようなクールな印象があります。あと女性の描き方でいうと、

●多面的で多様な女性キャラ

1人の女性でも多面的な性格を持っているし、しかもいろんな女性が出てくる。
(ほんとは男性監督でもこれをやって欲しいんですけど、あんまりできてる男性監督がいない。)

●女性に対して冷徹

今作『プロミシング・ヤング・ウーマン』のラストの枕のシーン。
あのシーンは男性の監督は無理ですよ。。。
あんな冷徹なこと怖くてできないと思いますよ。。

男性の監督は女性を大事にしてる風を出さなきゃいけないっていう思いがあるからなのか、あんなにもあっさりとした冷徹なシーンを撮れないと思う。

女性監督は人物をちょっと突き放して描くところがあると思います。男にはできない女性キャラクターのクールな描き方を女性監督はよくする。

かと言って同じ女性を同族嫌悪で憎んでるとかキャラクターに愛情がないとかいう感じでもなく、
「女性だから大切にしなきゃ」とか「女性は映画の華だから」みたいな差別意識がない分、
同じ人間としてバッサリとクールな扱いができるんでしょうね。

別に「仲良しだよね〜」ってやんなくても私たち連帯できます感がある。


誰も傍観者になれない映画、誰かにとっての俺

今作『プロミシング・ヤング・ウーマン』の苦しさは誰も傍観者になれないところ。

直接悪事を働いたり、その場にいたり、告発を受け流したりした経験がなかったとしても、似たようなことはやってきてしまっていると思います。

僕もそう。学生時代とかおそらく見過ごしてきた、見ないようにしてきた、恨まれても仕方ないようなことが、、、あったはず。。。。

だからベッドに縛られたあの男が「誰かにとっての俺」である可能性だってある。。。


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『プロミシング・ヤング・ウーマン』四コマ映画http://4koma-eiga.jp/fourcell2/entry_detail.htm?id=2755


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ネタバレは以下に

まさかあのまま殺されてしまうとは思いませんでしたね。。実は酸素ボンベ的なものを仕掛けていたりして…なんて思ってたけど、ていうか死んでほしくなかったので、、、死んじゃいましたね。。

ここがクールですよね。殺すかね。。思い切ったことをするもんだ。。。

なぜあそこで死んだかを考えると、二つのことが思い浮かびます。

一つは、「殺したって終わらないよ」と。
罪を償うまでは〝死〟でさえも逃げられないんだよ、と。「若い頃ヤンチャやってまして〜♪」じゃねーよ、という意味かな。

二つ目は、キリストでしょうね。
映画の中で散々キャリーを天使や聖母的なイメージと重ねていました。ベッドやソファの装飾が翼のようで、キャリーはそれを背負っているような構図がありましたし、カフェの壁の柄の前でぼんやり立つキャリーは聖母的な肖像のようでした。

キャリーの死によって彼らの罪が赦された?
赦されるっていうか罪を償う機会が彼らに与えられた。

で、キリストってのは死んだ後復活しましたよね。
でも流石にキャリーは復活はしない。そういうファンタジー物語ではないので。


では、どこでキャリーは復活するのか。
それはこの映画を観た我々の心の中でしょうよ。

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