顔のアザの意味とは『マティアス&マキシム』ネタバレあり 〜映画感想〜
カナダの話なんですよね。フランス語喋ってるからフランスかと思っちゃうんだけど、、、カナダのケベック州ではフランス語が公用語公用語。ケベック州は北米のヨーロッパ側の地域で、フランスからの移民だけで形成されたので今でもほとんどがフランス語によって行われる、とのこと。
つっても「カナダのフランス語」なのでカナダ訛りが強くてフランス本国では通じない場合もあるようですし、この映画でも出てきますが、英語が苦手な人もいるようです。
セリフ以外のことで語る
セリフ以外のことで語る、監督しての力量が凄いですね。
それぞれのキャラが自分の気持ちをストレートに語るシーンってほっっっとんどないんですけど
だいたいのキャラのだいたいの気持ちは伝わってきますよ。
サラッとやってるけどすごいこと。これができない映画の方が多い。
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とくにマティアスの彼女の複雑な気持ちが伝わってくるのが素晴らしいですね。
演技自体も素晴らしくて
彼女の知的さや理性があったからこそマティアスの苦悩や一歩踏み入れちゃう様子を観客は観ることができたわけです。
彼女が自分の観念以外を拒絶するキャラクターだったら、
マティアスは自分の心の中の探求をする余裕が得られなかった。
マティアスのあの旅は、彼女の旅でもあったわけよ。
彼女はスクリーンに映ってないとこでどれほどの思案を繰り広げていたか。
ちゃんとそれがわかる演技と演出でしたね。
好きな男がゲイだとわかっちゃった女性キャラ
この映画とは全然違うけど、
「好きな男がゲイだとわかっちゃった女性キャラ」ってのは
映画にとって「便利に」「希薄に」描かれてきました。
ただただ拒絶してその映画から消えるキャラだったり、
突如理解を示してゲイの恋を応援し始めるキャラだったり、
なかなか浅はかな描かれ方が多かったと思います。
今作では、
ほんっとに複雑な感情をセリフなしで
シチュエーションとカメラと表情で伝えてましたね。
映画だねえ。。
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これはやっぱドラン監督の、ちょっとどうかしてるレベルの技量ですよ。
なかなか観られる映画ではない。
この若さで。。
顔のアザの意味
マキシムの顔の左側には赤い大きなアザがある。
かなり大きいし、結構目立つ赤色。
ドラン監督は「顔に大きなアザがあると、その人本人を見る前にまずアザを見られる」的なことを述べたそうです。
マキシムのアザは触れずにいるのが不思議なくらいなんだけど、友人や家族は一切アザについて触れない。終盤まで一切触れられない。
「アザではなく本人が受け入れられている」という状況なわけで、この場所はマキシムにとってこころ穏やかに過ごせる場所だというのが伝わってきます。
ただ、終盤でついにアザについて触れられてしまいます。。そこからマキシムも改めてアザに苦しむし、アザをいじってしまった人物の苦しみも深まります。。
ジェネレーションギャップ
友人の妹の短編映画のために2人はキスしたわけですが、最初2人は強く拒絶します。
そこで彼女は「あなたたちの世代では抵抗あるかもしれないけど、自然なこと。男2人でもいいし。女2人でもいい。」と。
マティアスとマキシムもそうとう若いんだけど、、さらに若い彼女との世代間格差が面白いし、
これは未来への希望として描かれているんだと思います。人間は進化するんだよ、と。
いいなぁ、進化する国は。。退化してる国は嫌だなぁ。。
地球を救っちゃいそうなレベルの感動アイテム
『ジョン・F・ドノヴァンの死と生』のときの作文みたいな
結構、、、古典的な感動アイテムもストレートに出してきますね。。
今作でも、、ラストあたりに
24時間テレビ愛は地球を救っちゃいそうなレベルの感動アイテムが突如出てきて
ゴールへ一直線しちゃいます。。
作家性
これは、、、作家性でしょう。。
彼自身ゲイなので「ゲイ要素」が組み込まれるのは自然なこと。
ゲイ要素が入っていることは作家性と言えるほどのことでもない。
毒でもあり愛でもある「母」という存在や
どこまでが真実でどこまでがウソかわからない描写や
前述のような「地球救いそうな感動アイテム」ってのが
彼の作家性かと。
つーても僕これでグザヴィエ映画は2本目なんで、、ごめんなさい。。
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たぶんドラン自身が
そういうストレートで真っ当な感動に飢えてるんでしょうね。
6人以上集まると絶対にその場が混乱して崩壊しちゃうのとか、、
おそらくそんなのばっかりを経験してきたから、
こういうのしか描けないし
ほのぼのとした幸せな食卓なんて絵空事っぽくて描いてられない、、
その分実は凡庸な、小っ恥ずかしいような幸せの形への憧れも強いんじゃないでしょうかね。
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映画監督として、俳優としてバリバリ仕事してるわけですから
まっとうな大人であることはあきらかなんですが、
31歳にしては幼すぎる彼の容姿や
今だ思春期真っ只中のような不安定さが
彼の魅力であり、個性。
それが母性本能をくすぐりまくってるんでしょうね。
やっちゃえ!ドラン!
ドランが主演してるドラン監督映画は今回が初だったんですけど、
クリント・イーストウッドが主演してるイーストウッド監督映画に強く感じる
「ナルチシズム」をちょっっと感じてしまいました。。
これもね、、、しょうがないんですかね。。。
個人的には、、あんまナルチシズム出さないで欲しい。。
でもなぁ、、ここまで作家性のある若手監督なんてそうそういないもんね。。
いいよ、ドランこのままで!やっちゃえ!
ネタバレ
映画の撮影でのキス以降、マキシムとマティアスはほとんど接点がなかった。
それぞれがバランスを崩して生活をしていたし、おそらくお互いそれに気づいていた。
うっすら気づいてた彼女に背中を押されてマティアスはマキシムのいるパーティーに参加。
いっぱいいっぱいになってるマティアスはそこで「めんどくさいやつ」を発動させてしまって、大喧嘩に。
思わずマキシムに「アザ野郎が」と吐き捨てるように言ってしまう。
全員が「あ、それは一番ダメなやつ…」的なリアクションの中、マキシムは殻に閉じこもってしまう。
反省しつつも謝りにいけないマティアスを友人が「お前は邪魔だからリビングに行け」とマキシムのいるリビングへと誘導する。
マティアスは普通に会話しようとするも、マキシムは逃げる。
少々追いかけっこしたのち、誰もいない部屋でマティアスはマキシムの手を握る。
お互いの気持ちを解放させて、マキシムはほとんど泣いているような顔でマティアスとキスする。
隣の隣の部屋では友人たちが変わらず盛り上がっている。
カメラが横パンすると、マキシムとマティアスのいる部屋。
二人は抱き合い下半身を触り合う。
これ以上はさすがにと思ったであろうマティアスが離れる。
マキシム「オーストラリアに行く日を遅らせる。週末を一緒に過ごしたい。話し合わなきゃいけないと思う」
お前に彼女がいるのも知ってる、お前が混乱してるのも知ってる、俺も混乱してる、踏み出していいのか、これがなんなのか、2人で話し合って何かしらの答えを出したい。
とマキシムは提案したわけですが、マティアスは無言で去る。
マキシム、オーストラリアに旅立つ当日。
マティアスの家でたしかキャリーバッグを借りに行く。
マティアスの父の推薦状がないとマキシムはオーストラリアで働けないんだけど、一向に推薦状がもらえないという状況が続いていた。
で、結局、実は推薦状(メール)はマティアスのアドレスに届いていたんだけどマティアスはそれをマキシムに転送しなかった。
おそらく、オーストラリアに行って欲しくなかったから、でしょうね。
マキシムはマティアスの家の引き出しに子供が描いた絵を見つける。
マティアスの母の目を盗んで、サッと見る。
それは幼いマティアスの絵。マティアスとマキシムの2人が「M」と冠した農場を経営してるほのぼのとした絵。
それを見て涙するマキシム。
そろそろ行かなきゃいけない時間。
外には友人が待っている。車でマキシムを送ってくれる。
家を出る。友人が左方向を指差している。
そこにはマティアスが仁王立ちしている。
すべての悩みや迷いが消えたような表情のマティアス。手を振る。
おわり
この2人が何を選択するのか、しないのかはまっったく見えないですね。
このあと結局核心には触れずにただ見送るだけなのかもしれないし。
2年後マキシムが帰ってきてからもあのキスのことは話さないかも。
10年以上経ってお互い家族を持ってからやっと話せるようになるのかも。
マティアスが突然「オーストラリアに行かないでくれ!」と言い始めて、このあと2人仲良く暮らしました、かも。
誰にもわからない、本人たちにもわからない。