何が差別にあたるかは、相手の立ち位置で決まる
たとえば東京人で大阪が嫌いなひとがいて、「大阪には吉本とタコ焼きしか取り柄がない」と言ったとします。
それに対して大阪人が「東京のうどんなんか汁が真っ黒で食えたもんじゃない。東京者は味覚音痴な証拠だ」と言ったとします。
どちらもひどい偏見ですし、ケンカとしてもかなり低レベルなものですが、じゃあこれが差別発言か、というと、そうではない気がします。
その最大の理由は、東京人と大阪人のどちらが弱者とは言えないからでしょう。歴史的に見れば上方のほうが政治経済文化面で優位な時代も長かったですし、現時点でも政財界の大物だの管理職だのに大阪人が異常に少ないとか、大阪人だという理由で就職できないとか、殴る蹴るの暴行を受ける、ということもなさそうです。
一方、相手が在日韓国人であれば、これらと同じようなレベルの発言であっても差別にあたる可能性が高いです。ですが、韓国人が日本国内で「日本人は劣等民族だ」と言ったとしても差別ではありません(そういった発言が得策かどうかは別問題ですが)。ただし韓国内で「在韓日本人」に向かって同じ発言をすれば、差別にあたります。
これを不公平だと感じる人がいます。差別発言を糾弾されたとき、「向こうだって言ってるじゃないか」という反論を目にすることも少なくありません。でもこれは判断基準として重要なことなのです。
「崖っぷちに立っている人を突き飛ばすのと、安全で平らなところに立っている人を突き飛ばすのでは罪の重さが違う」からです。
同性愛者が言う「異性愛なんて気持ち悪い」と異性愛者が言う「同性愛なんて気持ち悪い」では意味が違います。女性が「男はバカだ」と言うのと男性が「女はバカだ」と言うのも同様です。
相手の立ち位置をはかるうえで考慮するのは以下の2点です。
1、歴史的経緯
歴史上、異性愛者だという理由で逮捕されたり死刑になったり、男性だという理由で参政権や財産権が認められなかったり、という事実はありませんが、その逆はあります。ユダヤ人へのホロコーストや、黒人への奴隷制もここに含まれます。
過ぎたことだから、では済みません。現在とりあえず安全な状態や、先人が血のにじむような努力で勝ち取った権利が、永久に続く保証などないからです。実際今のアフガニスタンに見られるように、揺り戻しが起こることはあります。
崖っぷちに立っている人たちは、「時計の針が逆戻りするのでは」という不安を抱えながら生きている人もいます。
2、現状の格差
具体的には「権力者や指導的地位に占める割合が極端に少ない」「進学率や就職率の格差とそれにともなう経済的格差・健康格差」「日常レベルの嫌がらせや暴力、誹謗中傷の被害」などです。
これらは個人の責任にされてしまう傾向もあってさらに問題をややこしくしていますが、特定の集団にたまたま無能で怠惰な個人が集中しているとは考えられないことですし、歴史的経緯が歴史では終わらず、現在の法律や制度にまで引き継がれていることも多いのです。
そもそも誰も突き飛ばさなければいいのですが、もし突き飛ばすときは、相手の背後に気を配る義務があります。崖っぷちに立っている人を突き飛ばして死に至らしめたら「まさか崖になっているとは知らなかった」では済まされないからです。
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