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差別者に石を渡すな

同性婚を認めないのは憲法13条違反、という判決が出たようです。

私は当事者ではありませんが、同性婚は支持しています。
理由としてもちろん同性カップルの幸福追求権ということもありますが、それ以外に同性愛差別が好きな人たちが思う存分差別を愉しむ幸せを邪魔する効果があると考えているからです。

現にこの記事のコメント欄を見ていると「こういう人たちがいるからこそ同性婚が必要なんだよな」と思ってしまいます。

実際、同性異性を問わず、周囲のみんなが二人の関係を祝福して応援してくれるなら、べつに結婚などしなくてもいいのです。紙切れ1枚の婚姻届がものを言うのは、むしろ悪意ある第三者が存在するときです。

世の中はいい人ばかりではありません。三度の飯より差別が好き、という人間だっていますし、何の悪気もなく息をするように差別をする人だっています。「ナチス政権では好きなだけユダヤのやつらを追い出せていい時代だった」というドイツ人だっていました。法律が許すなら積極的に同性カップルに嫌がらせをしたい、という人がいても不思議はありません。

そういう人が他人ならまだしも、親族にいたらどうでしょうか。公正証書遺言などでパートナーを守ろうとしても、嫌がらせの手段はいくつもあります。またはパートナーが救急搬送された病院の医療関係者だったら。入居した賃貸物件の大家さんだったら。

もちろん「私たちの周りは理解ある人ばかりだから、べつに婚姻届なんて要らないよ」というカップルもいるでしょうし、逆に「下手に結婚などしたらかえって危険」という場合もあるでしょう。それでも結婚は二人の関係を守る防護壁のひとつですし、使う使わないは当事者が決めることだとしても、防具の選択肢が増えるのは良いことのはずです。

こうした問題を考えるとき、当事者のメリットだけでなく「差別が大好きな人たちにとって、どっちの制度がうれしいかな」という視点が必要だと思います。石をぶつけるのが好きな人に石を渡さないことが重要なのです。

別のニュースですが被差別部落の地名リストの出版が違法、という判決もでましたね。

これも典型的な「差別者に石を渡す」行為です。「これであいつらに嫌がらせしてやってくださいね」と言っているようなものです。

人間の、差別に対する飽くなき欲望をなめてはいけません。
「差別者を愉しませない」制度設計は常にアップデートが必要なのです。

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