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おいしいものを、すこしだけ 第9話

 卒業してから最初にサッちゃんと会ったとき「じつは今ジロとつきあっている」と打ち明けると、ほらやっぱり、という顔をされた。
「どうせいつかそうなると思った。ジロは最初から日向子が好きだったからね」
「そうかな」悪い気はしない。
「いつから?」
「卒業式のすこし前」
「ジロから告白されたの」
「うん、まあ」
 サッちゃんは詳しい経緯を根掘り葉掘り聞きたがったけれど、私は断固としてそれ以上は口を割らず、後はお互いの仕事やほかの同級生の近況を報告して別れた。

 その前の週に初めてジロの部屋に泊まった。働き始めてからなかなか会う時間が取れず、とくにジロは日曜しか休みがないようなので、あまり遠くに行ったりできないね、と話しているとジロが口ごもりながら言ったのだ。
「いいところでなくて悪いけど、土曜の夜うちに来るか。もし……嫌でなければ」
 意味するところがわかるので、すこし身構えてから「うん」と答えた。ジロが私の体に腕を回して「泊りでいい?」と聞くので「いい」と答えるとほっとしたように「よかった」と言った。
 土曜の夜にジロの部屋に行き、チャイムを鳴らすとすぐにドアが開いた。ジロはあらたまって「どうぞどうぞ」と私を招き入れた。
 お茶をもらって座っていても、いつものようには会話が続かなかった。夕食もお風呂も済ませてから来たので、ほかにすることもない。と言ってここで映画を観始めたりしたら際限なく脱線しそうだな、とマグカップで手のひらを温めながら考えていると、ジロが私の手首をそっとつかんで「こっちおいで」と引き寄せた。
 部屋は学生時代と同じだったけれど、お客様に備えて一生懸命片付けた様子があった。気を使ってくれたのか、シーツや枕カバーも新品だった。ジロは「よいしょ」と言いながら私をその上に寝かせた。その言い方がふだんとまったく同じなのがおかしくてクスッと笑うと、ジロも笑った。それから掛け布団ごと私に覆いかぶさって、日向、と呼んだ。
 そのあとはかなりの重労働だった。お互いの緊張のせいでなかなかうまく行かず、なんとか形をつけるだけで精一杯で、たいして痛くもなかったけれど、気持ちがいいとかそんなことを考える余裕はなかった。ジロもそれはわかっていたようで「ごめんな、次からもっとうまくやるから」と謝った。
 とりあえずの目的を達成した男のひとが手のひらを返したように冷たくなったり横柄になったりするのではないかと不安だったけれど、ジロは前よりもっと優しくなった。私の髪を撫でながら、疲れたか、寒くないかと気づかったり、子どものような目をして、朝まで一緒にいられて嬉しい、と言ったりした。
 そのまま腕枕をしてもらっていた。私は慣れない姿勢のせいでほとんど眠れなかったけれど、それでも明け方にすこしうとうとしたらしく、気がつくと朝になっていた。
 隣でジロが「腕が痛い。つぶれる」と大げさに苦しんでいる。あわてて頭をどかして「ごめん」と言うと、笑いながら私の頭をポンポンと撫でて「この大頭め」と言った。
 ジロは朝ごはんをつくってくれるつもりだったらしいけれど、私は胃が吊りあがっているような状態でとても喉を通りそうもないので、申しわけないけれど断った。寝不足のせいか目の前がぐらぐらして軽い吐き気もする。こういうことがあったあとで相手の部屋にいつまでも居座るのも無粋な気がしたし、できれば早く帰って自分の布団で休みたかった。
 ジロはうちまで送ると言い張ったけれど、そろそろ亜紀さんの出勤時間だし、ちょうどジロに送られてきたところでばったり会ってしまったらどうしてこの時間に帰ってきたのか一目瞭然で、さすがに気恥ずかしい感じがしたので断った。二つとも断られたジロはしょんぼりして「俺のこと嫌いになった」と肩を落とした。「大好き」と答えるとぱっと笑顔になった。それからキスをして別れた。
 玄関から一歩外へ出ると初夏の眩しい日差しが照りつけて、思わず手をかざした。階段を降りるのも足元がふわふわしておぼつかなかった。鮮やかな緑の葉をつけた街路樹が並んでいた。ジロは私の帰り道に空爆の危険でもあるような顔で、心配そうに見送っていた。
 帰ってみると亜紀さんはもう出勤したあとで、誰もいなかった。自分の部屋で横になり、夕方までうつらうつらして過ごした。


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