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おいしいものを、すこしだけ 最終話

 いろいろなことがあってから、まだほんのすこししか経っていないようでもあり、すべてがずいぶん昔のことのようでもある。

 亜紀さんはお母さんの年齢を越えられなかった。告知を受けてから一年くらい時間があったので、初めて二人で一緒に旅行にも行ったし、亜紀さんがこれだけはと望んだ公正証書の手続きを取ることもできた。
 告知を受けたときの亜紀さんは落ち着いていた。あきらめとも絶望とも違う、ほとんど安堵の表情と言っていいようなものを浮かべていた。そのとき、私がこの世で見捨てられてしまったこともわかった。

 入院したときは、毎日のように見舞に行った。髪を短く切った亜紀さんは別人のようで最初はとまどったけれど、本人はけっこう気に入っていた。
「ひなさんと同じくらいの長さになりましたね。その髪型、昔からいいなと思ってました」
 医師からは食べられるうちに何でも好きなものを食べさせてあげたほうがいいと言われていたので、病気のたびに食べさせていた卵とかつおぶし入り味噌おじや、平目の刺身、手づくりのマドレーヌ、お気に入りのピスタチオのジェラート、といったものをせっせと差し入れた。
 石垣島からマンゴーも取り寄せてみた。病室でベッドの脇に座り、濃い黄色のマンゴーが亜紀さんの口に入るのを見守った。亜紀さんはひときれ食べて「おいしい」と言い、もうひときれ食べた。それ以上は食べられなかった。それから病室を出ようとする私の背中に向かって「おいしかったけど、もうこんなことしなくていいですよ。入院費もかかるし、ひなさんが食べてくれたほうが」と言った。

 在宅で最後まで看護を続けることは、私が付きっきりで自宅にいられるわけではないので、結局あきらめるしかなかった。仕事を辞める、という選択も心をよぎったけれど、そのことをちらりともらした瞬間に亜紀さんが顔色を変えて絶対に辞めるなと言ったので、それ以上その話を持ちだすことはできなかった。

 最後の入院をしたとき、亜紀さんが言った。
「やっぱり、兄には連絡を取ったほうがいいと思うんですよ。ここへ呼んでもいいですか」
「もちろんです」
 そうしてお兄さんがやって来た。仕事帰りなのかグレーのスーツ姿だった。亜紀さんと違ってあまり背の高くない人で、目元と鼻筋の通りかた、静かな声で話すところが似ていた。孝志さんという名前だった。
 私は席をはずしたので、兄妹でどういう会話をしたのかは知らない。一階の売店前にあるベンチに座って、空が紫色に変わっていくなかで夕陽が沈んでいくところをぼんやりと眺めていた。
 あたりが薄暗くなったころ、孝志さんが病室から出てきた。亜紀さんが私のことを何と説明したのかはわからない。恐れていたようにあとは身内で面倒を見るからお引き取りくださいと言われることはなかった。ただ「萩原さんには妹が本当にお世話になりまして、これからもどうぞよろしくお願いいたします」というような丁重な挨拶を受け、連絡先を交換した。
 病院の入口まで出て、駐車場から孝志さんが車で走り去るのを見送った。薄が風に揺れ、ジージーという虫の声が聞こえた。

 そのころから亜紀さんは治療のためではなく痛みを緩和するための薬を投与されるようになり、その影響で私が付き添っているときも眠っていることが多くなった。ときどきふっと目を覚まして、とりとめのない話をした。
「ずっと後ろからついてくるな、と思っていましたけれど、とうとう彼が追いついてきたようですね」
「彼?」
「死神です」
「死神って男性なんですか」
 亜紀さんは答える前にまた眠ってしまった。私はなぜか亜紀さんが一度だけつきあったことがあるという男性のことを想像した。
 
 よく熟れた桃の皮を剥き、果肉にナイフを入れると、病室に甘い香りがぱっと広がる。滴りおちる汁を皿に受けとめ、スプーンですくって亜紀さんの唇にあてる。亜紀さんはちいさく舌を鳴らして桃のしずくを舐めとった。もう固形物を食べることが難しくなり、体重は子どもみたいな数字にまで落ちている。そのあと私が果肉の部分を食べるのを動かない目でじっと見ていた。
 
 もし延命の手立てがあったとしても、亜紀さんは望まなかったと思う。態度のはしばしに、もう有効な治療法がなく選択の余地がないことを恩恵だと考えているようなところが見えた。亜紀さんは最後まで私に優しかったし、今後のためにできるだけのことをしてくれたけれど、それは義務感からそうしていたので、気持ちはもう私のうえにはなかった。そのことで私は何度か亜紀さんを責めた。亜紀さんにとって私と過ごせる時間よりも死神のほうが魅惑的なのだ。私とのことはただの成り行きであって、本当に好きなひとはほかにいたのだろうとまで言った。亜紀さんは反論も否定もせず、かすれた声で「ごめんなさい」とだけ言った。

 あとになって、亜紀さんが病院関係者に会うたびに「私に何かあったら必ず萩原日向子さんに連絡してください。私にとっていちばん大切なひとなので」と繰り返し頼んでいたことを聞かされた。

 病室のドアを細く開けて覗くと、亜紀さんがあおむけになったまま骨と皮ばかりになった腕を上げてなぜか空中をひっかくような動作をしていた。一瞬、亜紀さんがひっくり返ってもがいている虫のように見えた。

 亜紀さんは最後まで精神が明晰で、亜紀さんらしい亜紀さんのままだった。看護師さんに体を起こしてもらって本を読みかけていたところで容体が急変した。私は間に合わなかった。

 葬儀には、孝志さんの一家が参列した。亜紀さんのお父さんは姿を見せなかった。半年前から入退院を繰り返していて、もう娘の死を聞かされても理解できる状態ではないらしい。退院というのも病状が好転したからではなく、なかば追い出されるようなかたちだという。
「体のほうはまったく丈夫なだけに、暴れだすと二人がかりでも取り押さえられないので、素人の手には負えないということで精神科に入れましたが、どこも長くはいられないので、今は落ち着いて療養できる施設を探しています。父のことに追われて妹には充分なことをしてやれなくて、萩原さんに何もかも任せきりで申しわけありませんでした」
 孝志さんは疲れきった表情をしていた。奥さんはその隣にひっそりと立っていて、やはり疲れきった表情をしていた。亜紀さんはとうとう最後まで私と法律上の家族になることを選ばなかった。私がこういった事態に巻きこまれることを恐れていたのかもしれない。
 若い男性が荷物を抱えて入ってきて「息子の雅志です」と紹介された。
「叔母さんとは赤ん坊のころ一度会っただけだから、覚えてないだろうね」と孝志さんが言うと、横から奥さんが「誕生日に絵本を送ってもらったことがあったでしょう。ほら、三歳のとき」と言い添えた。
「私、その絵本を梱包しました」
 この子があのときの、と懐かしくなって思わず口を挟んだ。もちろんもうすっかり大きくなって、大学生になっていた。いろいろと話しかけてみたけれど、雅志くんはその絵本について記憶もあやふやな様子で、探せばあると思う、と言ったくらいだった。もしかすると読まなかったのかもしれない。本や図書館にはまったく興味がないそうだ。
 葬儀は身内だけで済ませるつもりだったけれど、どこかから連絡が行ったようで何人か図書館の関係者が来た。亜紀さんはきっと喜ぶだろうと思ったので、ありがたく参列してもらった。立場上休職制度は利用できないし、職場に迷惑もかけられないというので早い段階で仕事は辞めてしまっていたから、亡くなった時点では亜紀さんは無職だったことになる。私にはどうしようもないことだったけれど、亜紀さんを図書館員として死なせてあげられなかったことはすこし心が痛む。
 実の兄がいるのに喪主を務めているらしいこの人は何者だろう、と参列者が思っているのがわかったけれど、遺言状で葬儀の主宰者に指定されているのは私なので、黙って頭を下げ続けた。一人、気がつかない感じの人が「故人とはどのようなご関係で」と無邪気に聞いてきて、周囲の人たちもすこし緊張して耳をそばだてた。
「二十年、一緒に暮らしてきました」とだけ答えた。

 亜紀さんは全財産を私に贈るという内容の公正証書遺言を残していた。はたから見れば、わけのわからない女が亜紀さんを騙して遺言状を書かせ、財産を横取りしたように思われるかもしれない。あとになって揉めるのはいやなので、出棺を待っているあいだに話し合いの席をもうけ、お父さんには三分の一の遺留分を請求する権利があること、ただ金額が少ないので労力と費用を考えると引き合わないかもしれないということを伝えた。
 孝志さんは頷いた。
「妹からもその話は聞いています。本人が自分で遺留分を請求することはできそうもないですし、僕が成年後見人になる手続きをしている途中なので、請求するとしたら僕がやることになるでしょうが、正直言って今勤めをしながら施設を探すだけで精いっぱいで、労力のほうが惜しいです。妹が遺言を書いてくれてかえってありがたいくらいです。本人も全部萩原さんに渡したいとはっきり言っていましたし、僕としてはその遺志を尊重しようと思います」
 
 遺骨は孝志さんが引き取ることになった。たぶん郷里の、お母さんと同じお墓に入れることになるのだと思う。亜紀さんは埋葬については何も希望がないので私たちに任せると言っていた。
「散骨にしてもらってもいいですし、世間並みにするならそれでもいいですし、残った人の負担が少ない方式にしてもらえば」
 それから私を見て「兄が引き取ってくれるなら、そのほうがいいかもしれないですね」と言った。私が遺骨を抱えて途方に暮れるのを心配したのかもしれない。
 遺骨をひとかけら分けてほしい、と頼めばそうしてくれたかもしれないけれど、もらってどうするというあてもなく、結局言いだせなかった。

 形見になるようなものはわずかしかなかった。もともとものを持たない人だったし、最後の入院をするときに不用品は全部本人が処分してしまっていた。残っているのは私が贈ったアクセサリーくらいで、プロポーズのときに一夜だけ着けてくれた指輪と、ほとんど着けてくれなかった腕時計とペンダントがあった。このペンダントはトップが本のかたちをしていて、留金をひらくと小さな写真が入れられるようになっている。開けてみると何も入っていなかった。
 お母さんの形見らしい着物と宝石類は、私が持っているべきではないと思ったので孝志さんに渡した。ただ一緒に写真を撮ったときの着物だけは手元に置かせてもらった。
 あとは本棚一本分の蔵書だけだ。八百冊くらいあった。亜紀さんは律儀に蔵書目録までつくっていて、いくつかに丸をつけながら「これとこれはそれなりに値段が付くので、ちゃんとした古書店で売ったほうがいいですよ」などと言っていた。
「自分の蔵書がバラバラになるのって、悲しくないですか」
「そんな、偉い先生ではないので。本は読みたい人に読んでもらうのが一番です」
 
 私一人でいつまでもこの部屋の家賃を払い続けることはできないので、いずれもっと狭いところに引っ越さなければならない。これだけの蔵書を全部持って行くことはできないかもしれない。

 日記もしくは私への手紙でもないかと期待して探したのに、机の引き出しにあったのは昔私が借りた(そして今も長期延滞中の)本の借用書くらいだった。
 あとはメモ用紙に描いたツシマヤマネコの絵が出てきた。これはいつか亜紀さんが「職業としての図書館員というのはいずれツシマヤマネコ並みの絶滅危惧種になるかもしれないですね」ともらしたときに、私が「ツシマヤマネコってどんなやつでしたっけ」と聞いたら描いてくれたのだ。亜紀さんは意外なほど絵が上手かった。
「こう見えても元美術部でして。歌舞音曲のたぐいはさっぱりですが、絵は得意です」と言って花や透視図法の建物を描いてくれた覚えがある。
 
 あれだけ他人の書いた文章をたくさん読んでいた人が遺したものが、公正証書遺言一通とメモ用紙に描いたツシマヤマネコだけだというのは皮肉に感じる。
 
 孝志さん一家はそのまま新幹線で帰るので、駅で見送った。別れぎわ、孝志さんは抱えた遺骨の包みに目を落として「かわいそうに」と言った。それから「親父はこれからも、まだまだ生きるでしょうね」とつけ加えた。うっすらと笑ったように見えた。
 
 うちに帰って一人になってから、初めて声をあげて泣いた。

 必要な支払いを終えると、最終的に亜紀さんの遺産として私に遺されるのは百二十万円くらいだった。亜紀さんが生涯働いて、私に遺してくれたお金だ。孝志さんの気が変わって遺留分を請求するかもしれないので、当分手をつけずにとっておくことにした。

 三日休んで仕事に戻った。休んでいるあいだに溜まった業務を猛烈な勢いで片づけた。これ以上有休を減らすわけにもいかなかったし、働いていると気がまぎれるのでそのほうが良かった。

 亜紀さんの名前で、若い図書館員を養成する活動をしている団体に、いくらか寄付をした。故人が長年図書館で働いていたこと、とても図書館を愛していたことを書き添えた。
「図書館を愛するということでは人に負けませんけれど」
 と亜紀さんは言っていた。
「でもそれはしょせん片想いであって、図書館のほうでは私なんかたいして必要としていなかったと思います。好きだとかやりたいとかいうことと向いているということは違います。自分でもそれはわかってました。愛着なんかなくたって、誰かが私にとって代わったほうがもっと上手くやれたかもしれません。だから私が死んだら、少額でいいのでどこか図書館員に関係した団体に寄付してください。私が役に立てなかったことへのお詫びとして」

 亜紀さんは一度地獄に堕ちるけれど、蜘蛛の糸につかまるかオンブバッタの背中に乗るかして、うまいこと救いだされる。
 天国ではみんな頭に光の輪っかがついていて、蓮の花に乗っていて、お酒の川と蜂蜜の川とクリームの川が流れていて、熟したマンゴーがたくさん実っていて、白いゾウがいる。
 周囲は一面のひまわり畑で、リスとハムスターが種を食べている。緑のカーネーションもすこしは咲いている。
 図書館もあって、亜紀さんはそこで働いている。雇い止めも更新回数の上限もない。絶滅の恐れのないツシマヤマネコがいて、亜紀さんの膝に乗っている。
 この世に生まれて死んだ人間はすべて一人一冊ずつの本になって、天国の図書館に納められる。図書館は永遠に拡張していく。
 いつか私が死んだら、山と積まれた新着本のなかから、亜紀さんは私の本をきっと見つけてくれるだろう。

 もちろんこういったことを本気で信じているわけではないけれど、想像していると気が休まった。

 朝送りだす人のないこと、誰もいない自宅に帰ることにも、すこしずつ慣れてくる。帰ってくると夕食をつくる。亜紀さんがいたころと同じように、亜紀さんが好きなものをできるだけおいしくつくる。ただ量はずっと少ない。お猪口ふたつと豆皿にごはんと味噌汁とおかずを盛って、亜紀さんの席に並べる。今の亜紀さんは本当に少食なので、もうこれだけで充分だ。


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