元ドラゴンズJrのエリートが大学を中退。不安と向き合いながら"福井"で迎える勝負の3年目。
ワイラプインターンの森田です。
先日からスタートした選手インタビュー企画、名付けて「 #ワイラプ博物館 」の第19回の記事執筆を担当させていただきます。
この連載では、博物館のように選手一人1人の歴史がわかる場になればと思います。そして読者の皆様は、この博物館でぜひ選手の魅力を発掘してください!
本日は、山根弘太郎 選手のインタビューです。
山根弘太郎 (やまねこうたろう) 愛知県出身 1997年7月16日生まれ
愛知西シニア▷啓新高校▷東洋大学(中退)
■天才卓球少年は、野球では努力の鬼だった
ー野球をはじめたきっかけはいつだったんですか?
山根:記憶はないんですが3才の頃にカラーバットを持たされ、ピンポン玉を投げたら打ち返したのがきっかけだったそうです!ただ小さい頃は卓球の思い出が強いですね(笑)
ー卓球ですか!?
山根:年少から卓球を始めました。年長の時に初めて全国に行くことができて小学1年の時には全国でベスト8まで行けましたね(笑)
自分で言うのもなんですけど、強いですよね(笑)
ーかなり強いですよ!それ!卓球を本気で続けようとは思わなかったんですか?
山根:いや、野球をしたかったんですよね(笑) 少年団と掛け持ちだったので土日に試合が被るとどうしても卓球を優先せざるを得ないんですよ。それが嫌で、父親に直談判しに行きましたね(笑)
ーなるほど…! そんな思いを聞いたお父さんはなんと?
山根:「全国優勝したら辞めていい」と。今考えると無茶すぎますよね!!
でも、その時はそれを信じて、卓球では最初で最後の猛練習しましたよ(笑)
ー (笑)。結果はどうなったんですか!!
山根:小学2年生の時に全国優勝して、きっぱり辞めました(笑)
大好きな野球ができるぞー!って感じで、後悔は今でもないですね!だから、野球は小2で本格的に始めましたね。
(小学2年生時。卓球で日本チャンピオンに…!)
ーテレビ番組になりそうなエピソードですね!本格的に始めた少年野球の印象的な思い出はありますか?
山根:父親が厳しかったことですかね。
毎朝5時に起きて、父の出勤時間まで練習。父親が帰ってきたら週7でバッティングセンターに通ってましたからね(笑) 漫画の主人公みたいな生活でした。
ーそういうのは、漫画の世界だけかと思ってました…! それだけ猛練習されていたんでしたら、かなり上手かったんじゃないですか?
山根:3年からAチームで6年生に交じって、サードでレギュラーでした。
4年からはショートでしたね!6年生の頃はドラゴンズジュニアにも選抜してもらいました。甲子園で話題になった、中京大中京vs関東一高の同級生バッテリー対決覚えています?
実はあの2人(上野翔太郎投手・鈴木大智捕手)とドラゴンズジュニアで一緒で…(笑) 3人で仲良かったんです!
ーさすがの経歴ですね! 甲子園の名勝負も鮮明に覚えています。そんな方たちと一緒に野球をしていたことが名プレイヤーだったことを証明してますね!
山根:父親のおかげでしかないですね。野球をしたことがないのに毎日パソコンで動画を見ながら勉強してくれたりして。感謝してます。
(小学校6年生時には、ドラゴンズジュニアにも選ばれた)
ー中学はどのような環境でプレーされていたんですか?
山根:シニアを選びました。それこそ、上野と鈴木に誘われて強豪の愛知西シニアを選びました。
ー本当に仲が良かったんですね!シニアではいつごろから試合に出られてたんですか?
山根:1年の秋から3人で出ていましたね。2年生の頃は夏以外全国に行きました。夏は自分のエラーでサヨナラ負けで全国を逃してしまったんですよね。その代わり3年のときは3つの大会で全て全国に出場できました!春が確か全国3位でしたね!
ー結果が眩しいですね…! 高校へのお誘いもたくさんあったんじゃないんですか?
山根:そうですね。ありがたいことに、たくさん声をかけていただいていました。
僕は、プロに行きたかったので「絶対に大阪桐蔭に行く!」と小学校の頃から決めていましたし、実際に声もかかっていました。ただ、僕の中でふと考えたことがあったんですよね。
ー「考えたこと」ですか?
山根:そうなんです。プロに行くためには1年から試合に出てスカウトの人に見てもらう方がいいんじゃないかと考えたんですね。
いくらその頃は自信があったとしても、大阪桐蔭で1年からレギュラーを取ることは至難の業だと思って…(笑)
それからまぁ色々あって福井県の啓新高校を選ぶことになりました。
■名門の誘いを断り、創部2年目の高校へ
ー色々と言うのが非常に気になるんですが、なにがあったんですか!?
山根:当時の監督との出会いですね。まだその人が高校野球の監督だとも知らない時です。
シニアの試合を見に来てくれていたんですが、自分の怠慢だったプレーを見て急に叱られたんですね。「プロを真剣で目指してるなら本気で打ち込めよ」と。
その時は「誰だこの人?」と思って(笑)、適当な返事をしてしまったんですけど、妙に心に残っていたんですね。
そこからその方の名前を調べていったら、最近創設した野球部の監督だったんです(笑)
ーそんな出来事があったんですね!名監督だったそうですね!
山根:そうなんです。そこも決め手でした。過去になんと20人ほどプロに輩出されていたんです。
高校自体も最初は全く知らなかったんですけど、創設1年目で1年生しかいないにもかかわらず県ベスト4という実績を出していたんです。
「ここだ!」と思い、決めましたね。
ー数々の名門の誘いを断ってのスタートはいかがでしたか?
山根:自分たちの代は25人くらいでしたね。野球部はほとんどが県外生でした。みんな監督に惚れて集まったメンバーでしたね(笑)
自分たちの年から、専用グランドができたんですけど、外野の芝づくりから始めました。野球したいのに!って当時思っていたんですが、今振り返ればいい経験ですね。
ー外野に芝を!(笑) たしかにそんな経験はなかなかできませんね!試合にはいつ頃から出始めたんですか?
山根:1年夏はセンターでレギュラー、秋からはサードでスタメンでしたね!自分の代はショートを守ってました。ただ、僕は打てる選手こそがプロに行けると思っていたので打撃練習ばっかりしてましたね!
(高校時代)
ー何番を打たれていたんですか?
山根:2番、3番あたりでしたね!打撃は本当にスランプ知らずでした。3年生のときは練習試合も合わせてノーヒットの試合は2戦だけでしたね!なかなかすごいでしょ?(笑)
ー2試合だけ!?驚異的な記録ですね!チームの成績もかなり良かったんじゃないですか?
山根:勝ち進むものの、ずっとベスト4止まりでしたね。とにかく個々の我が強いんですね(笑)。だから、チームワークという言葉が全く当てはまらないチームだったので、なかなか最後の結束力が発揮されなくて(笑)
まぁ、僕がキャプテンなんで曲者の集まりだってことは察してください(笑)
ーキャプテンやられてたんですね!実は学生生活で模範生だったとか?
山:いや、恥ずかしながらそんなこと全くないです(笑) 怒られてばっかりでした(笑)
■人生で初めて野球が嫌いになった大学時代
ー進路に関しては、どのように選ばれたんですか?
山根:とにかく野球の強い大学に行こうと考えていました。スカウトの方からも、大学でみっちり鍛えてきてほしい。と伝えれられていたので色々お声を頂いた中で選ばせていただきました。
ーその頃、社会人や独立リーグの存在は知っていましたか?
山根:いや、独立リーグは全く知らなかったですね。大学に最初から決めきっていました。
ーそんな中、大学を中退という形になったと思うんですけど、そのあたりはお伺いしても大丈夫ですか?
山根:大丈夫です!実は入部してすぐにイップスになってしまったんですね。完全に投げ方を忘れてしまったんです。そこから人生で初めて野球が嫌いになってしまったんですね。これが最大の原因です。
ーなるほど…。それはつらいですよね。。そこから大学を辞めるまでに至った経緯をお聞かせください!
山根:そうですね。最初は練習をさぼることから始まって、野球はもう二の次の生活でしたね。
そこから大学2年の4月の終わりに野球部を辞めました。野球ができないのにいてもしょうがないなと思ってたので特に未練も無くすっと辞めましたね。
ー精神的にもかなりきつい状況だったんですね。。。そんな中、大学を辞めて福井に来るにはどんな経緯があるんですか?
山根:バイトに明け暮れていた9月頃に、知らない番号から電話があったんです。それがエレファンツの北村前監督からでした。
ー突然ですか!?それがきっかけでエレファンツへ?
山根:いや、その時は断ったんです。野球はホントにやりたくなかったんで…(笑)
けど何度も何度も電話がかけてきてくれるので、食事に一度連れて行ってもらい、話を聞く中で気持ちがだんだん変わりました。福井行きを決意しましたね。
ーそんな繋がりがあったんですね!周りはどんな反応でしたか?
山根:親は「こんなチャンスがあるならやってほしい」と言ってくれました。友達も「もったいないから続けろよ」と野球を進めてくれて止められることはなかったですね!
■変わらない夢を追い、再び福井へ
ー 一度は嫌いになってしまった野球を始めた1年目のシーズンはいかがでしたか?
山根:楽しかったです。とにかく野球は楽しかったですね(笑)
前期はほぼ試合に出てなかったんですけど、ベンチを一人でひたすら盛り上げてたんですよ(笑)
そしたら次第にみんなも一緒になって同じ雰囲気を作ってくれて!すごく良い雰囲気でしたね!後半はすこしずつ慣れてきて、試合にも出してもらえるようになり、結果も出てきて充実した1年でしたね!
ー大学時代とは見違えるような1年だったんですね!
山根:そうですね!オフには田中さん(前福井球団監督)からも「ムード作りの面ですごく感謝している」とお言葉を頂きました。
ー打撃も好調だった1年目から打って変わって、昨シーズンの2年目はスランプに陥ってしまったと聞きました。
山根:去年はめっちゃ苦しみましたね…。もっと打てるようになりたい!と改良を図った結果、ドロ沼にはまってしまって。
そんな時に昨年までチームメイトだった大松尚逸さんには本当に助けられました。アドバイスはもちろん、野球と向き合う姿勢は本当に学ぶことが多かったです。少しずつ身になって、8月・9月にやっと打てるようになりましたね!
ーそんな着実にステップアップし続け、勝負の3年目を迎えようとしていた中での球団存続危機。ここに直面した時はいかがでしたか?
山根:辞めずに信じ続けてよかったなと本当に思ってます。僕は福井から声がかからなければこのように野球を続けることができませんでした。
そうした理由から、福井以外の独立リーグの球団に行く気はなかったので、諦めてたら引退だったかもしれませんね(笑)。恩しかないですから!
ー熱いお言葉をありがとうございます!球団が生まれ変わってすぐに自粛期間。率直にいかがでしたか?
山根:自粛前に調子が良すぎたがゆえに、悔しかったですね。打撃は素振りしかできなかったので、調子を維持するのが大変でした。ただ、トレーニングをこの時期までみっちりできたことが、とても良かったです。 いつもならシーズンに入っている時期なので、ここまで準備することはできないですからね!メリットもありましたよ!
ー心強いですね!調子の方はいかがですか?
山根:開幕まであと1週間ですよね!(※6/13にインタビューを実施)
もう1段階ギアをあげられるかなと思っています。
不安だった送球も、近年だと一番いい状態です。もちろん投げることに関しては、不安と付き合っていくことにはなると思いますが、1球の成功が自信になるからこそ、練習の一つ一つをより意識して取り組んでいます!
(6/20に開幕したが、ここまで4試合全てでスタメン出場。全試合で二塁打を放つ「ミスターツーベース」、現在絶好調!)
ー最後に開幕を待っていたファンの皆さんに一言お願いします!
山根:今年は個人的にはラストチャンスだと思っています!
やります。とにかくやります!それだけです!
ー思いが詰まったメッセージでした!ありがとうございました!
(文責:球団インターン 森田健太郎)
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