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名門・智辯学園のエースが日体大を退部。変則左腕は独立リーグでもう一度輝くか。

ワイラプインターンの泉です。

選手インタビュー企画、「 #ワイラプ博物館 」の第21回の記事執筆を担当させていただきます。

この連載では、博物館のように選手一人1人の歴史がわかる場になればと思います。そして読者の皆様は、この博物館でぜひ選手の魅力を発掘してください!

本日は、松田将輝 選手のインタビューです。

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松田将輝(まつだ まさき) 奈良県出身 1997年5月13日生
葛城JFKボーイズ▷智辯学園高校▷日本体育大学▷BBCスカイホークス


―本日はワイラプ1の独特なオーラを持つ(笑)、松田選手にお話を聞いていこうと思います。よろしくお願いいたします!

松田:よろしくお願いいたします!


■強豪奈良県で成長を続けた怪童


―では、まず松田選手が野球を始めたのはいつごろでしょうか?

松田:3歳のころからボール遊びが好きでその頃からですかね。小学2年生から少年団に入りました。


―では小学生のころはずっと軟式野球を?

松田:いえ、5年生で少年団はやめてしまいました。より上のレベルを目指して硬式に行きました。


―軟式から硬式に移っての苦労はありましたか?

松田:めちゃくちゃ難しかったです(笑)。少年硬式のリトルリーグって軟式の少年野球よりもマウンドや塁間が短いんですよね。だから、はじめは距離感とタイミングが全くつかめなくて…
リトルリーグの距離に慣れるために、バッティングセンターでも打席の一番前に立って、球速をマックスにして練習していましたね(笑)


―チームは強かったんですか?

松田:最初は全然勝てませんでしたが、みんなで切磋琢磨し、勝てるようになりましたね。


―その中でも松田選手は主力として活躍されていたんでしょうか?

松田:一応チームの Big3の一角と言われていました(笑)。全国に行くためには9回勝たなければいけないんですが、そのうち6試合に投げました。

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(小学生時代。今と比べるとだいぶスリム…笑)


―めちゃくちゃ活躍しているじゃないですか(笑)では中学も硬式へ?

松田:はい。教わりたい憧れの監督がいたので、あるチームに入ったんですが、その監督が私の入団後すぐにやめてしまい…。私も辞めてしまいました。


―そのあとは何をしていたんですか?

松田:今まで遊んでこなかったので少し遊んでいました。一度自由に遊んでみたかったので…(笑)。あとは塾に通ってましたね。


―普通の中学生(笑)野球復帰はしたんですか?

松田:違うボーイズに再入団しました。葛城JFKボーイズという、めちゃくちゃ強いチームで、練習環境もよかったのでそこでプレーしていました。

―強かったんですね!松田選手がいた頃の成績は?

松田:投手をやっていて最初は3番手でしたが最後はエースになれました。
残念ながら自分の代では決勝で負けてしまい、全国へは行けませんでした。

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(超強豪ボーイズに在籍していた中学時代)


■高校・大学で優勝投手の栄冠も不完全燃焼


―それだけの強豪ボーイズで活躍されていたとなると、高校などの推薦はあったのでは?

松田父親が智弁学園のOBで、よく小さい頃から父のOB戦にゲストで出させてもらっていました(笑)。
そこには当時智弁学園の監督だった上村さんもいたんですが、 小さいころからすごく良くしてくれていた思い出があって…。ずっと「智辯に行きたい」と小学校の頃から思っていましたね(笑)
そういったご縁もあったことと、中学時代の活躍も認められて智弁学園に入部することができました。


―よかったですね!名門の門をたたいたわけですが練習はどうでしたか?

松田:1億円を目の前に積まれてももうやりません(笑)


―どれだけきついんですか(笑)

松田:OBの方もおっしゃっていて冗談かと思ったら、マジで地獄でしたね(笑)。1学年15人ぐらいの少数精鋭なので練習が濃いんですが、ピッチャーが一番過酷でした。朝から夜までポール間ダッシュをやってましたね。帰るのは毎日終電。今振りかえってもやばいっす(笑)


―さすがの名門…1年生の試合出場は?

松田:さすがに1年生のときはなかったですね。けど2年生から少しずつ登板機会をいただき、2年夏がピークでした(笑)。
県予選も投げて、県大会優勝投手になることができました。1学年上に岡本和真さん(現ジャイアンツ)がいたり、打線がすごく心強かったですね。

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(高校時代。智辯のユニフォームが眩しい!)


―大活躍ですね!甲子園でも投げたのでは?

松田:甲子園ではベンチ外になりました…。結局自分の代でも1回だけエースナンバーをもらっただけになりましたね。最後の夏は県予選で敗れてしまったので甲子園のマウンドに立つことはできませんでした

―ちなみに岡本和真選手との思い出はありますか?

松田:打撃投手をやったときに3打数3本塁打でした(笑)。まるでレベルが違いましたね(笑)

―まさに化け物ですね(笑)大学はどのように選ばれましたか?

松田:当時はシティボーイにあこがれていたので東京に行きたかったんです(笑)。というのは冗談で、自分ならもっと上に行けると信じていた点と、トレーナーになりたかったという理由で、強豪の日本体育大学を選びました。

声をかけていただいていたほかの大学もあったんですが、推薦をお断りして日体大を一般受験で受けて、合格することができました。


―ではどんな大学生活でしたか?

松田:1年時はきつかったです。練習環境には非常に満足してましたが、受験太りでついていくのがやっとでしたね。脱体育会系の組織のため、とてもプレーしやすかったです。
ただ、リーグ戦では全く投げることはなく…1軍に上がれたのは一度だけ。ずっと2軍生活でした


―日体大は本当に投手のレベルが高いですもんね…。一番の思い出を教えてください。

松田: 2年時の1,2年主体の新人戦優勝ですね。唯一出場した公式戦でしたが優勝投手になりました。その後はコーチに勧められサイドスローになりますが、4年の春に部のルールもあり、選手を続けられなくなってしまったので退部を決断しました。


―高校に続き優勝投手!にも関わらず本当に厳しい世界なんですね。ではそのあとは?

松田:そのタイミングでクラブチームのBBCスカイホークスに入りました。1シーズンはこちらでプレーしました。
僕はまだあきらめたくなく、上のステージを目指していたため、優秀なトレーナーや元プロの指導者がいるスカイホークスに入団するのが一番いいかなと思いました。
独立リーグはそのあとのステージとして考えていました。

―計画的に一歩ずつ進んでいたんですね。独立リーグのトライアウトはその年に?

松田:そうです。11月の独立リーグトライアウトの合格を目指して、落ちたら教職の勉強を考えていました。

―野球を辞めることも頭にあったんですね… トライアウトの結果は?

松田:なんとか11月トライアウトで合格をもらえて、福井に入団することができました。


■YouTube×野球選手という新たなアスリート像へ


―おめでとうございます!はじめての独立リーグ生活はいかがですか?

松田:僕の場合は特殊で、「選手兼YouTube担当」みたいな感じなのでなかなかハードですね(笑)
普段の練習やビジター試合といった動画編集マンのツカモトさんが来られない日は、僕がカメラの設置や撮影をしています今は動画編集も勉強中です

―そういったことも松田選手がやられてるんですね!そうした取り組みは大変かとは思いますが楽しさもありますか?

松田:練習もあり両立は正直大変ですが、物を作るのが好きなので動画編集はめっちゃ楽しいです!
もし仮に野球が上手くいかない場合でも、YouTubeの方でチームに貢献できればと思います。

(球団公式YouTubeチャンネル「ワイラプTV」の運用にも関わる松田選手)

―では最後に公式戦に向けて、ここを見てほしいというところ教えてください。

松田:苦しい顔をして野球をやっても楽しくないので、楽しんで野球をする姿をファンの皆さまにも見てもらいたいですね。
自分は変則左腕なので、あとは球速が上がってくれば活躍できると信じています。調子の良いときと悪いときの落差をなくしていきたいですね。


―野球を楽しむ松田選手を見るのは楽しみですね!本日はありがとうございました!

松田:ありがとうございました!

(文責:球団インターン 泉歴)

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