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帰国子女あるある

ぼくはいわゆる「帰国子女」という部類に入っていた人間だ。帰国子女というのは親の仕事の関係などで海外で生まれ育った経験を持つ子どものこと。ぼくは生まれてすぐに父親の仕事の関係でニューヨークに行き、その後オーストラリアのシドニーへと渡った。幼少期に3年半ほど海外で過ごしたので立派な「帰国子女」バッジを胸につけていると言っていいかもしれない。その割に残念なことにちょっとした人種差別を受けて外国人にも英語にも馴染めず強烈なコンプレックスを持ってしまったのだけど、その話は過去記事に譲るとしよう。

自分が帰国子女ということもあってか昔から帰国子女を見つけるとどうも気になってしまう。その人がどういう人なのかをまじまじと見てしまう自分がいる。その観察を通して気づいたことをなんとなく書いてみる。

というわけでぼくが思う「帰国子女あるある」です。

1. 海外への"憧れ"みたいなものが逆にない

帰国子女は幼少期を海外で過ごした経験を持っている。彼らにとっては海外という場所は「生活する場所」として機能していた。そして生活するということはその土地のいいところもそうじゃないところも骨の髄まで感じとり経験することを意味している。それは頭の中で想像力を目一杯働かせて思い描く「理想の場所」ではなく、今日も明日も生きてかなくちゃならない「手触りのある生活空間」でしかない。

だからというべきか小さい頃に海外に住んだ経験のある人と話すと意外と海外に対して冷めてるというかクールな印象を持っていることも多い。「どうしてもまた海外に行きたい!」という人もいないわけではないけれど「まあ海外住んだら楽しいこともあるかもだけど不便だしねー」と年寄りじみたことを漏らしたりすることもある。その証拠にぼくがオーストラリアに暮らしていたときに仲良くなった日本人の友達は「やっぱ日本が住むにはいいよね〜」ということで帰国してからは海外には見向きもせず日本でのほほんと暮らしている。

これは純ジャパで海外に興味がある人とはきっと温度差があるに違いない。ぼくが大学時代に出会った純ジャパの友人たちは「海の向こうにはなにがあるんだろう…!」と胸をワクワクさせながら色んな国にバックパッカーとして足を運んでいた。

こういうことを踏まえると考えてしまう。帰国子女か、夢にあふれた純ジャパか、どっちがグローバル人材になるだろうか?意外と純ジャパのほうがポテンシャル高いんじゃないだろうかと思うけどどうだろう。海外でいまバキバキ活躍している人って帰国子女もいるけど、そういうハングリーな元純ジャパが多いように思うのだけど気のせいではないはず。

2. ネジが2-3本抜けている

海外で小さいころを過ごしたとなると、いわゆる「日本の常識」というものが欠けていることも多い。するとどうやってもネジがちょっと抜けてるような人も出てくる。というか帰国子女にはそういう人めっちゃいる気がするぞ(笑)。

ぼくが大学時代に出会った人の話。ぼくはコペルニクというNPO(発展途上国にテクノロジー製品を届ける非営利団体)のインターンを当時していた。ぼくともう2人のインターンの学生とあるイベントの準備をしていた。イベントの開催までぜんぜん時間がない中で、ぼくと1人の学生は準備の仕方をめぐって喧々諤々の議論をしていた。まあまあシリアスな空気のなか真剣に話していたと思う。

ただぼくとその議論をしている学生の間に座っていた残りのもう1人。彼は昨日生まれたみたいなツヤツヤした肌とツルツルした黒髪が特徴でどことなく幼く見える。服装もピチピチとした半袖半パンとくると、ピュアな感じ丸出しなやつだ。

きっとこの議論がつまらなかっただろう。しばらくすると彼はおもむろに席を立ってストレッチをし始めた。これからマラソンの大会にでも出るのかってぐらい念入りにストレッチをしている。「よくこの空気でストレッチできるな…」とぼくは思ったけど時間がなかったので無視した。

するとその彼は「あっ!」と声をあげた。なんだろう、解決策でも思いついたのだろうか。彼は素早いスピードで席にもう一度着くなり自分のリュックをひったくり中をゴソゴソし始めた。

「忘れてた」と言って取り出した。いちご味のポッキーだった。彼は鼻歌を歌いながら開封するといちごポッキーを取り出しポリポリ食べ始めた。

ぼくはあっけに取られ「よくこの空気でいちごポッキー食べ始めるな…」と思ってたら彼は何食わぬ顔でこういうじゃないか。

福原さんも食べます!?

いらねーよ!!!時間ないときいちごポッキー食べたらあかん!!!

ぼくは呆れてものが言えなかったけど、もう一人の連れはそこで降参し腹を抱えて笑っていた。結局ぼくらは仲良く3人並んでいちごポッキーをパクパク食べる羽目になった。まったく。

この天然な感じと憎めなさはもしや…と思い聞いてみると、やはり帰国子女だった。聞くところによるとなんと生まれて間もなくから中学生ぐらいまでオーストラリアの田舎にいたらしい。なるほど、とそこで合点がいった。オーストラリアと言えばぼくも住んでいたところなので、そのまま長いこといたら殺伐とした空気の中でもいちごポッキーを取り出すたくましさが身に付いたのかもしれない。

これはあくまで一例だ。でも天然でイノセントな振る舞いをする輩を見つけて問いただすと「アフリカで幼少期を過ごした」とか「カナダのド田舎で原っぱを走り回ってた」とかいったケースを何度も発見することになった。帰国子女おそるべし。

皆さんの周りにも可愛い天然くん = 帰国子女というケースを目撃したことがあると思うのですがいかがでしょう?

3. 日本の良さをじんわりと分かってる

これは1.と密接に関わっている。海外で酸いも甘いも噛み分けてきたからこそ日本で暮らしたときに日本の良さというものを深く理解している。「これは当たり前じゃない」と心得ている。帰国子女の間ではそういう点も共有しているんじゃないだろうか。

もちろん日本で暮らしていてなかなか辛いことってある。それは耐え難い同調圧力みたいな根深い文化的なものかもしれないし、あるいは「人口が減って経済が…」みたいな悲観的な未来図のことかもしれない。

でもそういうのもぜんぶひっくるめて冷静に「日本はこういう部分がいいな」と言える。もしくは見方を変えれば「海外が天国かと言えばそういうわけじゃない」ということもしっかり認識している。日本にも海外にもどうしようもない部分はあるし同時に素晴らしい点もたくさんあると承知しているのだ。

これは帰国子女だけでなく、ひょっとしたら海外で暮らしたことのある人なら頷いていただけるかもしれない。

これを言うとカドが立ちそうだけど勇気を振り絞って言ってみたい。とどのつまり日本の良さって日本を出て外国で暮らして初めて分かるんじゃないか…と思うのだけどそれは言い過ぎだろうか?何事も「比較」というプロセスを通して初めて当たり前だとしていたことが客観視できるし、その区別を通して分かることがあるはずだと。

もちろん日本に住み続けて日本の良さを十分に感じることは出来る。だから海外に住んでた人が偉いとかそういうことじゃぜんぜんない。ただ海外に住む経験をすると日本に戻ってきたときに「観察者」としての視点をどうやっても持ち合わせることになる。その観察者の視座からのみ分かることってあるよねという話になるかと。


…まあひとまずこんな感じかな。まだまだ「帰国子女あるある」は尽きないと思いますがこの辺で。



これがまあ美味かったのだ

今日はそんなところですね。ここまで読んでくださりありがとうございました。

一時帰国したときの日本で。名古屋で味噌カツを食べながら。

それではどうも。お疲れたまねぎでした!

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福原たまねぎ
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