TMFCチャリティーサッカー教室を見学してきた
fukuharaです。
元ベガルタ仙台、現東京ヴェルディ1969の田村選手が代表を務めるTMFCのチャリティーサッカー教室を見学してきました。
僕は子供はまだいないので100%見学です。
特別な練習メニューがあったわけでもないので感想を書きます。
株式会社TMFCとは
プロサッカー選手・田村直也が設立した、株式会社TMFC。
サッカースクール事業とアパレル事業を柱に、「REMEMBER3.11」を合言葉に、震災を忘れないための復興支援活動も行っています。
1月4日にワッセ仙台で開催されたチャリティーサッカー教室を見学してきました。参加している著名人は以下の通り。
田村直也(東京V)
奥埜博亮(ベガルタ仙台→セレッソ大阪)
加藤順大(大宮)
吉野恭平(広島)
佐々木匠(讃岐)
萬代宏樹(長野パルセイロ)
細川淳矢(水戸)
一柳夢吾(草津)
荒牧太郎(ヴォスクオーレ仙台)
越後尭(モスペリオ東北BS)
阿部満(モスペリオ東北BS)
佐々木勇人(ベガルタ仙台)
外賀幸一
大坂ともお
千葉直樹
プロサッカー選手に限らずフットサルやビーチサッカー、アカデミーのスカウト、スタジアムDJやTV局に勤めている方も参加しています。
今回は強いテーマとしては掲げられていませんでしたがフットボールに携わる選択肢を多く見せてくれました。
正直僕は宮城県にビーチサッカーのチームがあるなんて知りませんでしたから本当にいい機会になりました。
子供たちにどれくらいの記憶が残るか分かりませんが、将来なにか選択する時にヒントになると良いですね。
プログラム
1.開会挨拶
2.参加者紹介
3.子供たちがドリブルしながら選手たちをタッチ
4.ドリブルしている選手たちを子供たちがタッチ
5.ストレッチ
6.ドリブルリレー
7.選手たちにボールをとられないように子供たちがドリブル
8.佐々木匠と奥埜によるドリブルの手本
9.手本を参考に再度選手たちにボールをとられないように子供たちがドリブル
10.田村のクロスから選手たちによるシュートの手本
11.田村のクロスから何名かの子供たちによるシュート
12.学年ごとに分かれて選手たちがあげたクロスに子供たちがシュート
13.選手を交えた紅白戦
14.選手vs何名かの子供たちによる紅白戦
15.質疑応答
思ったこと
懐かしさ
クロスボールをあげる田村選手。
フィニッシュが悪いと「ボールが悪い!」と自分のクロスを責めてました。
そういうクロスもあったなぁ。(笑)
そしていいクロスがあがってホームランを蹴る萬代選手。
そういうシュートもあったなぁ。(笑)
今は仙台で戦っていない選手たちも、やっぱり今でも好きだと感じました。
フットボールの選択肢について
何もサッカーじゃなくても、プレーヤーじゃなくても、いくらでもフットボールが好きなら携わる選択肢があるんだなという当たり前の事を大人になった自分も改めて感じました。
もう少し他の競技の話もあれば・・・とも思いましたが時間の関係上厳しいですね。
そもそも参加費と参加人数から計算するとチャリティーとはいえ圧倒的に赤字でしょうから。
フットボールファミリーとしてもう少し強い繋がりができるといいなと思いました。
人工芝の素晴らしさ
クロスからのシュート練習をする際、何人かの子供たちがジャンピングボレーをしていました。
堅い土のグラウンドだったらそもそもチャレンジしないと思います。
僕は学生の頃、堅い土のグラウンドでジャンピングボレーの練習をさせられてアホかと本気で思いました。痛いです。
プレーの発想の幅が広がる、怪我を防止できるという意味で人工芝はいいですね。
フットサルをサッカーに取り込もうという動きはありますが、取り込めなくてもフットサル場で練習できるだけで大きな意味があると思います。
あとみんなフットサル場をもっと使おう。
名取のフットメッセが潰れるなんて引っ越すまで知らなかったぞ。
選手たちの服装
選手たちはTMFCのTシャツを着てプレーしていたのですが、そもそも子供たちは選手の名前を知っていたのでしょうか。
子供たちが選手にすごく懐いていてとても微笑ましかったので、名前を知っていたらもっと仲良くなれたのではないかなと思います。
結果として選手個人のファンに繋がる事になるはずなので、Tシャツに名前が書いてあればいいのになと思いました。
ちなみに僕は細川選手のファンになりました。仙台にいた頃よりも。
話してないけどいい人ですね、場が明るくなってみんな楽しそうでした。
奥埜選手のこと
今回見学した理由は田村選手が面白いことをやっているからいってみよう程度でした。
見学できるかTMFCのアカウントに連絡をとってOKを貰えたのでスケジュールを組んでいたのですが、参加者の奥埜選手がセレッソ大阪に移籍するという噂もあったので正直気が気ではなかったです。
参加者紹介の時に何となく僕は動画を撮っていました。
まずは田村選手から。東京ヴェルディの田村直也です。そんな感じで続いていきます。
奥埜選手は自分の名前しか名乗りませんでした。
長崎へのレンタルを除いてずっと仙台を名乗っていた奥埜が、不自然に名前しか名乗らなかったので噂は本当だと確信しました。
初めは昔、仙台で一緒に戦ってくれた選手たちを見ようと思っていました。
元気にしているのかなとか。癖は変わらないかなとか。
けど実際は、ずっとずっと見ていた奥埜を見ていました。
走り方とか、ボールタッチとか、ターンとか、シュートとか、ディフェンスとかポジショニングとか全部いつも通りの奥埜。寡黙なのに子供たちが周りにずっといる奥埜。
匠からのクロスをシュートする奥埜を見て、頭では移籍の選択を応援できてもすごく寂しい。
もうベガルタ仙台の奥埜を応援できないと思うと本当に寂しい。
最後の質疑応答で奥埜選手が答えた質問。
―プロになろうと思ったキッカケは。
「ベガルタジュニアユースのときにボールボーイをやって、初めて目の前で試合を観たとき。」
そう思える奥埜のような子供が一人でも増えるように、そしてまた仙台に戻ってきたいと思えるように。
ポジティブでカッコいい応援で溢れるスタジアムにしたい。SNSにしたい。街にしたい。
だからすごく寂しいけど、奥埜選手の選択を応援するし、努力結果が認められたステップアップを本当に誇らしく思います。セレッソ大阪でも変わらず頑張ってほしいです。
ユアテックスタジアムで戦えるを楽しみにします。ありがとうございました。