日本映画史の最高峰の1つ『昭和残侠伝 死んで貰います』--- 視線と視線でないものが織りなすドラマについて
12月1日の藤純子の76歳の誕生日を記念して、高倉健と藤純子主演のこの傑作について、詳細に論じたいと思います。
『昭和残侠伝 死んで貰います』(1970)
監督 マキノ雅弘
共演 高倉健、池部良、長門裕之
撮影 林七郎
【あらすじ】
東京下町、旧い暖簾を誇る料亭「喜楽」に生まれた花田秀次郎は、父親が後妻を娶り妹のお弓が誕生した時に、自分が身を引けばすべてがうまく治まると家を出た。しかし渡世人となった秀次郎が人を斬り受刑している間に、父親が急死し、関東大震災の犠牲となった妹もこの世を去っていた。「喜楽」は震災で失明した義母と板長の風間重吉が細々と切り盛りしていたが、それを知った秀次郎は、花田家の力になりたいと「喜楽」に身分を隠して板前として住み込む。想いを寄せられる芸者・幾太郎との再会もあり、堅気として生きる決意をする秀次郎だったが、妹婿の借金をたてに店を乗っ取ろうとする新興博徒・駒井組の横暴な振る舞いに、秀次郎は再び怒りのドスを抜く!
1. はじめに
この、マキノ雅弘による1970年のフィルムは、日本映画の1つの最高峰として記憶されるべき映画です。
戦後日本映画の黄金期は1950年代でありました(なお戦前の黄金期は1930年代)。続く1960年代は、その黄金期がゆるやかに崩壊する過程でした。このフィルムは、その1960年代が終わった1970年に撮られたという点で、象徴的です。奇しくも、その翌年(1971年)に大映は倒産するのです。
その崩壊の過程を、映画各社がどのような工夫で乗り切ろうとしたかを語る紙幅は、ありませんが、そこで崩壊していったのは、古典的なスタジオシステムの映画術です。
このフィルムには、今はもう失われてしまった、以下のような素晴らしさが凝縮されています:
マキノ雅弘という日本で最も多く映画を撮った監督の職人的な素晴らしさ。
東映やくざ映画というジャンル映画の豊饒さ。
高倉健、藤純子、池部良といったスターや、脇役の俳優たちの素晴らしさ。
キャメラワークの素晴らしさ。(すーっとパンをしながら、人物たちの動きを追い、画面に収める滑らかさ)
ここでは、こうしたことを全て語る紙幅がありません。
一点にしぼって、視線と視線でないものが織りなすドラマについてお伝えしたいと思います。
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