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発達障害についての持論とおすすめ

最近よく耳にするようになった発達障害という言葉。

僕の妻も、我が子(男の子)が発達障害ではないかと思っているようで、そこから、この言葉がよく頭に入ってくるようになりました。

発達障害についての持論

僕は、発達障害やグレーと言われて分類するのは、子どもにとってもマイナスでしかなく、多様化を推進する社会において邪魔でしかないと思っています。
※もちろん特性の強弱があると思いますし、私は重度のADHDの子どもと触れ合ったことがないので、グレーよりの子どもを想像しています。ご了承ください。

発達障害と言われるのは色々な種類があって、並べられている特徴を読むと、“子供らしさ”に当てはまるように感じる項目がたくさんありますね。

  • 落ち着きがない

  • 言葉の発達が遅い

  • 癇癪を起こしやすい

  • こだわりが強い etc

他にも色々特徴はあると思いますが、子どもの個性という範疇というか。

子育てがしにくい傾向があるのは理解できますが、発達障害とかADHDというレッテルを貼られて成長し、その言葉を理解した時に本人が受ける「僕は普通の子ではなくて、劣っている子」という風に思ってしまうことの方が、本人にとって大きな心のダメージではないかと思ってしまう。

項目を見る限り、普通というカテゴリから外れたスキルを持っているとグレー判定になってしまい、例えば、

  • すごくすごく好奇心が強くて遊びに熱中する

  • 知らない人にも寄って行って声をかける。

  • 車のおもちゃが極端に好き。

とても子どもらしい光景です。

人のスキルパラメータが10段階であるとして、例えたら、
好奇心:10
熱中度:10
人見知り度:0
物覚え:2
人懐っこさ:9

のようなバラバラとした子どもがグレー。

好奇心:6
熱中度:6
人見知り度:5
物覚え:6
人懐っこさ:6

このような平均的な子は正常。

僕には、これはただの個性だと思ってしまう。
大人になって普通に生きている人で、多少人見知りする人や、
少し物忘れが多い人、口下手な人、すごく読書が苦手、
声がでかい人、空気を読まずズバッという人、すごく深く深く考えがちな人、病気がちな人などと、ほとんど変わらないと思いませんか?

当然、それぞれがその自分の個性を持って生きる上で、苦しいことや偏見を受けながら生きていて、それぞれの大変なことはあります。

こういう個性や特性を、互いに受け入れ認め合い、補いながら生きて行くのが多様化ですよね。

昨今増えている、異文化の国や宗教で育った外国人の受け入れや、男女差をなくすジェンダーレスというのも、考え方や個性、特性が違うだけ。
レッテルを貼って分類するよりも、受け入れ認めあうことを小さい頃から教育していく方がよほど健全ではないかと思ってしまう。

そしてここから、悩む親御さんに僕の話を

僕自身は、私が小さい頃に「発達障害」とか「ADHD」の診察があれば、グレーと言われてた可能性があったと思います。

べらぼうに元気過ぎたし、空気は読めないし。

ADHDの子どもでよく言われる、なにかに夢中になる。

今思えば、こういう子どもでしたが、おそらく小学低学年から始めた「そろばん教室」に救われたと思います。

小学低学年の頃からそろばん教室に通い、計算が好きになり、頭の中でずっと暗算を繰り返していました。
※この辺りもグレーの傾向有り。

小学校高学年の頃には、フラッシュ暗算が出来るようになり、学年トップの計算スピードでした。それが色んな自信につながり、暗記力や継続持続力、忍耐力に繋がっています。
なにか一つ、突出した能力を作ってあげられると、他の能力に伝播して向上していったと思っています。

継続とか持続することが苦手な子には、ほんとにおすすめの習い事。
おすすめすぎて、ブログにも書いていますので、詳しくは読んでみてください。

大人になった今でも、ビジネスの場面でそろばんや暗算で培ったスキルは非常に役立っており、「習って良かった」と感じています。
実際にそろばんを使う機会はなくなりましたが、そこで身につけたスキルは大いに活用されています。


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