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怖さと共にいること

今日のテーマは「怖さとともにいること」です。

やりたい仕事が増えてきました

最近自分がやりたいと思う仕事が多くなってきました。相手の心の奥に触れるとか、今まで出せなかった声を出してもらったときとか、そんな瞬間が僕にとっては大事で、やりがいを感じられる瞬間です。病院に勤めていた時に、入院患者さんを担当していて、そのご家族に状況を説明したり、外来でいろんな方の診察をする時にも、短い時間ながらも時々そういったことをしていましたが、最近は比較的、充分時間をかけて面談をしたり、コーチングをしたりすることができるようになってきています。

お金をもらうという怖さ

最初は話すこと自体、例えばコーチングとかで多くのお金を頂くことはありませんでした。段々趣味のレベルから仕事のレベルに変えていくと、お金をある程度頂くようになってきた。認定を受けて、最初に有料にした時、めちゃくちゃ怖かったですよね。お金に見合う価値を提供できるのかとか、お金を頂くことに対して怖さがあった。今もだんだん価格が上がると、同時にまたその怖さがあります。
病院や診療所で働いている時って、お金を意識することが少ないんですよね。例えば、採血の項目を増やさない(やればやるだけ病院側の負担が増える)とか、患者さんがなるべく辛い思いをしないように無駄な検査はやらないとか、そういう感覚はあります。でも直接患者さんからお金をもらうってことはないので、経費削減とは思っても、自分のやった行為でお金をもらう感覚がすごく少ないです。だから尚更、個人的にコーチングをしたことに対して直接お金のやり取りをするというのは、医療の世界とギャップが大きかった。

怖さの裏にある自分の大切にしたいこと

コーチングを始めてから、お金に対するブロック、「お金をもらうことって悪いことなんじゃないのか?」という気持ちが僕の中にあるから、そのことを分析したり、僕自身がコーチングを受けたりしています。最近ふと気づいたのは、僕の中で「いい人でいたい」とか、「いい人と思われたい」という気持ちが強いということです。20代のころ、社会に出た時にいい人そうな顔をすることや、そういう態度をとるっていうのは、僕の中で二重人格があるんじゃないかって思ってました。いわゆる偽善で、僕の心の中にあるいい人ではない部分が本当の自分で、外側に出しているいい人な部分は偽物なんじゃないかと思っていた時期もあった。でも最近は、まあそうじゃないよなと。どちらも僕の一部分で、いい人であるというのは、僕の中にある親切心とか、誰かに貢献したい、役に立ちたいという気持ちから出てくるものなんだと気がつきました。
「いい人と思われたい」「嫌われたくない」という怖さがあります。あとは、僕がやっていることが「お金をたくさんもらっていいこと」じゃないという気持ちに、怖さや嫌な感じがくっついてくる。金額が高かったときに、払った分の価値に見合わないと思われたらどうしようという怖さもあります。自分の能力が低いと思われたくないとか、ダメなやつって思われたくないというのが結構僕の中にあります。

怖い気持ちをないことにすると

でも蓋をするように、上書きするように「そんなふうに思うことない」「大丈夫大丈夫」って思ったり、自分を鎧で守るように「能力能力」って頑張ってしまうことがあります。それは仕事として価値あるものを提供するために大事な部分でもあります。僕の中にある「誠実さ」とか「熱意」がその気持ちを強くさせる部分もあります。だからこそその裏で、怖さが不安みたいなものに変わっていって、それで自分がやられてしまうということが起こるんです。

心の両面に気づく

ポジティブな面の自分の心も、ネガティブな面の自分の心も、どちらにも気が付いているっていうのがとても重要なことなんじゃないのかなと思っています。ネガティブな気持ちを無意識に奥に追いやって、気が付かないようにしたり、向き合って「大丈夫大丈夫」ともがき、上書きしようとしたりしても、やっぱり奥でくすぶってるんじゃないのかなと思います。だからそうじゃなくて、「怖さとともにいる」っていう感覚が大事だよなと思います。
自分の中にいろんな一面があることに「気が付いている」っていうだけでいいと思います。自分の中に大切にしたい価値観があるからこそ、その裏返しにはそれが大事にされなかったらどしようという怖さが生まれてくる。逆に怖さや不安があるものの裏側には自分の願いや大切なことがある。怖さや不安を隠したり追いやったりせず、怖さを感じている自分とただただ共にいるような感覚、そのスペース、居場所を作ってあげることが大切だと思います。

心と時間にスペースを作る

そのスペースっていうのは、心の中のスペースっていう感覚でもあるんですが、それを作るために日々のタスクのスペースというか、時間のスペース、余裕みたいなものもとても大事だなと最近改めて思っています。日々のやらなきゃいけないことに埋められちゃっていると、自分の心にもそういった余裕がなくなっきます。心にスペースを持つために生活の中で物理的な時間のスペースも確保することで、自分が持っている怖さみたいなものと共にいることができるんじゃないのかなと思います。

怖さと共にいること

ということで。怖さと共にいること、怖さを感じる自分にも大切なことがあるということ。怖さと裏にある願いどちらとも共にいると、何か大きなことがあった時にも揺るがずにいられたり、揺らいでも地に足をつけている、そんな風になれるんじゃないかなと思います。
ということで最後まで読んでいただいてありがとうございました。

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ファミリードクター福田幸寛
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