闇雲な努力よりも確実な努力
1月から本格始動したInstagramのフォロワーさんが1000人を超えました。
年明けからインフルエンザにかかるというアクシデントがあったものの200人ぐらいだったフォロワーさんが約4ヶ月で5倍に。
自分のアウトプットや実験も兼ねていたのですがありがたい事に結果がついてきてくれている事がとても嬉しいです。
やっている事は単純で、
①自分のやり続けられる事をしているか?
②それは見て(聴いて)楽しめるものか?
③マイページを綺麗に整備しているか?
④自分だけでなく人のページも見ているか?
というものです。
①はどんなSNSにしても、ひいては世の中の仕事や活動にしても自分が「これなら続けられる」ものでないと単純に続かないという話です。
どんなに人が見て面白いものでもやる側に継続の意思がないものは続けるのは不可能です。
②は不快なものではないか?というのは当たり前ですが、例えばデイリーで更新される漫画のように登録してこの人の次の日の更新も見たいかどうか?という事を考えます。
僕自身絶対的な自信がある訳ではないですが少なくともソロギターの投稿はみんなが知っている曲をなるべく選んでいたりするので「あ、あの激しい曲がギター1本だとこうなるのか!」という様に感じてくれているのではいか?と思います。
③これは結構大切だと思っていて、例えば投稿が面白いと思ってくれて自分のページに飛んできてくれた場合に関係のない投稿ばかりで興味のある投稿が10回に1回であればフォローする気も無くなってしまいます。
僕自身も自分がInstagramを開いた時にタイムラインが見たいものと関係ない内容で溢れるのは避けたいなと思っています。
④意外に盲点なのがコレです。
自分が投稿したいものを投稿する事は継続していく上で間違いではないのですが多くの人に見てもらいたいのであれば多くの人に見られているページを随時チェックする事をオススメします。
一週間前まで盛り上がっていたものが突然冷めてしまうのが今の世の中です。
自分のやりたい事を流行りの見せ方と照らし合わせながら改良していく為にも周りを見ながら続けていくと良いと思います。
これらの事から例えば情報を発信する側は続けることが努力だと勘違いしてしまう節があります。
定期的に、又は毎日投稿する事がいつのまにか目的になってしまい結果が出ず「毎日努力しているのに」という気持ちになりがちです。
しかし元々の目的は情報発信をして多くの人に見てもらいたいのであればそこが目的のはずで定期的に投稿する事や毎日投稿する事はただの手段でしかないのです。
手段が目的に変わってしまうと迷宮入りしてしまいます。
間違ったまま闇雲にやり続ける事は努力ではないと僕は思います。
やりながら、改良しながら、考えながら続ける事。
これが本当の意味で努力なのではないでしょうか。
そしてなによりも大切なのは自分自身でそれが楽しみながらできているか?という事だと思います。
Instagramページ:
https://www.instagram.com/yuji0906_guitar
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