マガジンのカバー画像

写真とカメラの森の歩き方

24
写真とカメラの世界。 その広く深い森の中を楽しく、時には悩みながら迷いながらそれもまた楽しい。 そんな世界のガイドブックです。 あなたはこの森を僕と一緒に歩いて行く仲間です。
運営しているクリエイター

記事一覧

写真はどこに在るか

データと言うものは、この世に存在しているのだろうか。物理的に存在してはいない事は確かだ。デジタル的価値観がこれだけ常態化した世の中なので物理的に存在しないからといって、存在そのものが否定されたわけではないとは思う。 SSDやHDDやSDカード等のメディアに保存されたデータも、どこにあるかもわからないサーバーに保存されたクラウドデータも存在はしているんだと思う。 けれども、僕はやっぱり物理的な存在こそが本当のゆるぎない存在のような気がしてしまう。 と言う僕の偏った考え方を前提に

意味

《 0枚目 》 フィルムで撮る時はあと何枚撮れるかと言う事を常に頭に置いておかなければならない。 有限であることが撮影プロセスに影響を与え、結果に違いとなって現れる。 フィルムで撮る意味は色々あるが僕にとってそれが一番大きな理由。 フィルムならではの写りとか色味とかはその次かさらにその次だ。 有限だから大事に撮る。0枚目はカウンターが1を指す前の空シャッターの時に写る写真の事(僕が言ってるだけです)。 空シャッターの時も何かしらのものを写しておくとたまに面白い写真が得られる

乳剤の追憶

《《  乳剤の追憶 》》 「フィルム写真はノスタルジーでしかない」 「“フィルムで撮った”という事にしか価値はない」 僕はそう思わないんだよね。 たしかにデジタルでフィルムと同じ様な写真を撮る事は可能だと思う。 そういうプリセットも売ってるしね。 フジフイルムのデジタルカメラのフィルムシミュレーションは優秀だしね。 僕が思うフィルム写真の良さは”フィルムという制限”から生まれる撮影の過程の変化。 それによって生まれるアウトプットの変化。 だと思う。 簡単に言えばフィル

年末の考え事のようなもの

勇気を出してJPEG撮って出し!と思ったが。。。 結局ドアンダードオーバーのカットがあれば現像したくなるわけで。。。 現像するものとJPEG撮って出しが混在したら余計ややこしくなるか。 なら全て現像はするけど基本ストレート現像を旨とし、ドアンダードオーバーのみ調整する。という方針にするほうが良いか。 年末の悩み。 来年は撮った時点での完成度をもっともっと高めていきたい。

解像度のはなし

解像度が高いというのは簡単に言うと 写真の世界では、拡大しても細部まで細かく写ってるという意味です。 今回はそれの比喩として、人がどれだけ分解して世界を見れるかと言う意味で使いました。 ボケっと無感覚に近いような状態で生きるか、自分の世界をとことん細部まで味わえるか、それがより幸せに生きるための大事な要素の一つだと思うのです。 そして写真を撮る事の良さの一つはそういうところにもあるかなと思います。 写真を撮っていると目の前の世界を見る解像度が上がってくるはずです。 よ

霧立ち込めるグラウンドにて。

階段にて。登るも下りるも一段ずつね。

雪が降りました。という報告ではありません。

昨日現像から上がったフィルム。 NikonFに入れていたフィルムはえらく長い間の時を抱え込んでいた。 一枚目は雪景色が写っているじゃないか! 春先だとは思うがもう何月か記憶が定かじゃない。 少なくとも半年以上は経っているということか。 今使ってるフィルムカメラは二台あって、ひとつはこのNikon F。 もう一台はMINOX 35GT。 MINOX 35GTは小さいカメラ(だが良く写る)なのでだいたいいつも持っている。 なので少なくとも月に一本以上のペースでフィルムを消費し

《《乳剤の追憶》》

あの真夏の日 焦げるような陽射し 体温を上回る気温 その中を泳ぐようにバイクで走っていた日 うるさい蝉の鳴き声 フィルム写真は、その時の気温や空気や陽射しや自分の息遣いやその時の音 そんな知覚が強く蘇ってくる。 これはデジタル写真と比較しての話であるが、デジタル写真にはEXIFデータの中に撮影データや撮影した日にちと時間が記録されていていつでも確認ができる。 一方、フィルム写真にはEXIFデータのような便利なものはないから確認できない。 でもその写真を撮ったときの様々な感

「街のアーカイブ」 展示中です。今回の展示は、それそのものと遠刈田の街も含めて全部が僕の作品です。

”街のアーカイブ” 展示中です。会期は30日まで。 遠刈田レジデンス マルヨシ にて。 今回の展示は写真そのものが作品なのではなく、展示そのものが作品として機能しています。 街をコピーし平面化。 それを再度半立体化する。 街の再構成。 揺れる展示方法。 邪魔で見づらいほど犇めいた写真 それはぶつかったり風をはらんで揺れることを街の変化の象徴として表現している。 街は変化するもの。 変化しない街は衰退するし衰退した街は変化できない。 だからこの作品は変化する街のアイコン。

+7

初夏 山の向こうに雷雨 山寺

FMP写真ワークショップ@ジネゴ 開催します。

『FMPフクダマコトフォトグラフィー写真ワークショップ』 いよいよ大石田町次年子の ブリッジ 次年子窯& Umuiで開催します。 3月14日(土)12時から15時まで ご存知ジネゴで開講します。 ここは陶芸家 高橋 廣道の次年子窯と 料理人 Umui Emikoの Umuiがある山奥の不思議な建築物(廃校)。 建物も中の人もそこで作られ産まれ出るものも全てが面白く不思議で、魅力的で美味しい。 そんなジネゴでFMP写真ワークショップを開

FMP写真ワークショップ@ジネゴumui&次年子窯 開催のおしらせ

14日(土)ジネゴのumui &次年子窯にてFMP写真ワークショップを開催します。 12時から15時ごろまで。 あの廃校をベースにしたファクトリー&カフェで写真を撮りましょう。 詳しくはあとでまた。 ひとまず速報でした。