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【石井紘基さん殺害事件20年】

 野党連合政権のために社会民主連合で40年前から奮闘された江田五月さんも昨年亡くなられ、石井紘基さんも亡くなられて今年で20年。ご健在は泉房穂さんや菅直人さんらだけに。当日ばらばらだった野党、社会党、民社党、公明党などを結集して政権交代を目指した。その後、日本新党や民主党で実現した政権交代は繰り返し崩壊して、今はまた国民民主、立憲民主、社民とばらばらに。振り出しに戻るというより、55年体制よりもさらに状況は悪くなった。この状況を江田五月さんや石井さんは、いやさらに江田三郎氏は天国でどのような気持ちで見ているのだろうか。江田三郎氏が社会党を辞めて1978年に立ち上げた新党「社会市民連合」は市民ネットワークを基盤とした日本で最初のリベラル政党。これは早すぎたのか。僕の高校時代、学生時代には本当にカッコよく、眩しく美しく見えた。その後、自民党から離脱した新自由クラブと国会内で会派を組んだときには、新しい政治が始まるのではないかとワクワクした。  僕が大学生になって上京して、社会民主連合の江田五月代表の議員会館事務所で学生時代4年間修行したのはそういう時代だった。石井さんはそのときの江田事務所の第一秘書だった。江田さんと石井さんの下で働いていろいろなことを学んだ。そして石井さんは国会議員選挙に挑戦した。そのときの秘書が泉房穂さんだった。泉さんと選挙活動で選挙区・世田谷の町を走り回った。衆議院議員になった後の石井さんは凄まじい闘士になられて奮闘された。そして2002年、右翼に殺された。僕はテロリズムだと考えている。  石井紘基議員が生前追及して殺される原因になった政府の特別会計問題、この日本のからくりを前提とせずに、緊縮財政と積極財政の議論はあまり意味がないとずっと思っている。石井さんが右翼に殺された後、この特別会計問題はさらにタブーになり日本中で誰も議論せず、追及しなくなった。健全な民主主義のために、まともな野党の再編が不可欠だが、このかつての野党連合政権の理想や奮闘を知らない世代の現在の野党議員にあまり期待ができない状況が悲しくてならない。

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