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【自由と倫理】SNS誹謗中傷問題。

【自由と倫理】#ネットの誹謗中傷と政権批判は違います
 香港国家安全法案が今日大詰めで市民と警察の衝突は激化。木村花さんの「テラスハウス」出演をめぐるSNS誹謗中傷と死から、ネットの誹謗中傷・個人攻撃の法的規制について検討が始まりそうな状況です。
 僕たち市民の社会の自由は民主主義により選ばれた代議士たちによる国家と権力の運営により守られています。自由は近代化と政治的闘争の過程の中で勝ち取ったものであり、法で規制されるべきものではなく、倫理により自律すべきものだと考えます。
 近代的民主国家の法治主義とは市民の自由を守るものであり、公共の福祉に反しない限り自由を規制するものではありません。公共性とは市民の自由意思と倫理モラルにより構築すべきであり、それはネット社会やSNSの倫理・公共性も同じと考えます。
 私達の社会の自由は倫理や人道主義を失ったとき容易に権力や法の介入を招きます。だから社会やネットの自由を守るためにはモラルや人道主義が大事なのです。今私たちの社会の自由は自分たちの倫理の崩壊により法の介入を受けようとしています。
 社会やネットにおける表現の規制は容易に全体主義、監視社会をもたらします。ネットの個人攻撃や誹謗中傷の対策も慎重であるべきで、一気に法規制とする前にまだ倫理や人道主義の社会教育やリスクコミュニケーションの可能性を模索すべきです。
 私達は、社会やネットの自由を守るためにこそ、自らの発言や表現に倫理と人道主義を組み込まねばなりません。ヘイトスピーチや差別、個人攻撃、誹謗中傷は対等な市民個人の人格や尊厳を侵すもので、民主主義社会では決して許されません。
 法規制による介入をさせないためにこそ、社会やネットにおける公共的な倫理と人道主義を自分たち市民の手で確立せねばなりません。香港市民の抗議も、コロナ接触アプリの人権問題も、SNS誹謗中傷対策も、根本は自由と法規制の問題です。
 社会やネットにおける表現の自由を守り確立するためには、個人への誹謗中傷やヘイトスピーチと、権力者、公人、政権への政治的批判、政策批判は明確に区別しなければなりません。その両者は全く異なり一緒にして論じてはいけません。
 権力者、公人への政策的批判は表現の自由で守られており、それと個人攻撃や誹謗中傷、ヘイトは異なります。その区別を明確化するためにも誹謗中傷やヘイトを倫理や人道主義で自律することと同時に、その意味では反対に権力・政権批判にも品位や倫理は必要です。
 木村花さんの死を無駄にしないためにもこの問題を議論し冷静な合意形成が必要だと考えます。


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