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飼い主をたべる

「20匹のネコ、亡くなったブリーダーを食べて2週間を生き延びる」というニュースを先月見かけて、一度でも人を食べるとまた食べたくなるのかなと、心に引っかかっていた。

今、読んでいる本に中国の農村部の小さな村でひどい飢餓に襲われて、愛しい妹を食べざるを得なかった男の業の話が出ていた。その男はその後、普通の食事をいくら食べても空腹が満たされることはなく、妹の肉の味が忘れられなかったという。

犬や猫などが死んでしまった飼い主を食べるという行為に対して、これといって不快感はなく、自然の摂理として真っ当であると思うし、それで生き延びられるのならば、そうするべきだと思う。
しかし、もし、その経験により人間の味が忘れられないのであれば、その動物たちは不幸になってしまうのではないかと思った。
そしてほとんどの場合、人を食べてしまったペットは殺されてしまう気がする。

ちなみに冒頭のニュースの20匹のメインクーン(大きな猫種)は、里親たちに引き取られたらしいので、ホッとした。

そんなわけで気になって調べていたのだが、
死んだ飼い主を食べるという行為自体が、生存のための自然の摂理が理由だけではないということがわかった。(冒頭のニュースは異なるかもしれないが)

不慮の事故により孤独死した飼い主を食べるという事例は、世界中で起きていて珍しくもないそうである。

「イヌやネコはなぜ死んだ飼い主を食べるのか 80件を超える事例から傾向と対策を探る」という2017年のナショジオの記事によれば、
基本的に飼い主の死体を食べてしまう事例で野生動物の食肉とは異なる点が
①顔(もしくは手)を中心に食べられている
→野生動物の場合、頭部よりも体や内臓を先に食べる
②死んで一日以内(1時間以内の場合もあり)に食べられている
→猫の場合は、死体食はフレッシュな肉よりは腐りかけが好みらしく、本格的に腐敗する手前までらしい。「ネコには『お気に入りの死体』があることが判明」という米の死体農場での猫の記事が面白かった。英語の方は、好んで食した部位の記述あり。
③空腹時に限らず、他に食べられる自分の餌が別にあったとしても起こる
→餌にはいっさい手をつけていない場合もある
④生前の飼い主との関係は良好であったケースが多い
→決して、虐待を受けていた腹いせではない。

上記のことによる結論が、
飼い主の死体を食べるという行為は、意識のない飼い主を助けようと思って、舐めたり齧ったり叩いたりしていても一向に起きないから、パニックになって食べてしまうということではないかとされている。
なんと悲しくも愛おしい行為である。

しかし、上記の死体農場での猫の記述で思ったけど、猫は、多分普通に食欲を満たすために飼い主の死体を食すだけな気がした。

あと、どこかの記事で見たけど、ゴールデンハムスターの飼い主の死体の活用法がなかなか凄まじかった…のでここでは割愛する。

実際のところは猫や犬に聞いてみないとわからないけれど、
私の中では、顔や手は、犬や猫たちにとって飼い主の象徴でもあると思う。
撫でられたり、いつも注目しているのも顔と手である。顔と手と声と匂いで多分人間を判断していると思うから、その最も愛する部位を自分の血肉にしたいと思ったのではないかと考えた。飼い主の死体を食べる行為は、肉食動物の究極の愛情表現ではないかと私は思っているんだけどな。

チベットやモンゴルの遊牧民族の鳥葬じゃないけど、我が死体を次の生き物の血肉として生かせるのならば、こんな究極のSDGsってないと思うけどな。
(内容はともかくも、SDGsって言葉がなんか気に障る昭和な人間ですが…)

しかし、それにより彼らが殺されてしまうのは、かわいそうだから、
やっぱり野生動物以外に人の肉を食わせてはいけないですね。

なんにせよ、孤独死しないようにだけ気をつけます。

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