ここにいることを考えてみる #13 Homeless in Vancouver (2014年7月の日記転載)
HastingsやDowntownでみかける、路上に座り込み施しを乞う人や道の端で横たわる人たちには、いろんな年齢層の人がいる
2011年のvancouver metro(新聞)によるホームレスの統計になるのだが
カウントされた2650人中、
19歳以下の子供で、親がホームレスでその元にいる子供が74人
19歳以下の子供で、親の元におらず個人でいる子供が102人
19~24歳の人で、221人
年齢が確実ではないが、それくらいの年齢の人が、74人
つまり24歳以下のホームレスが、カウントされた段階で397人いたことになる
25~34歳の人が、275人
35~44歳の人が、328人
45~54歳の人が、397人
この25~54歳の層が一番多く1000人
55歳以上の人が268人
(その他、2650人中985人が年齢の確認ができなかった)
これらの人は、71%がemergency shelter、safe house、transition house(一時避難所のような所)、一時的な利用に限り病院や警察署、アルコールと薬物依存更生施設で確認され
29%が野外、または、誰かの家で寝泊まりしていた
しかし、若年層のホームレスにおいては、水面下でcouch surfing(人の家を泊まり歩く)をしながらその場をしのいでいる人も多くいるので、正確な数字はもしかしたらもっと多い可能性もある
beat cop
ドキュメンタリー同様、policeは、この地域をいつも巡回している
さて、
もしかしたら、働き盛りの年齢や若いホームレス、アルコールや薬物依存症の人たちを見て、
なぜ働かないのか、なぜその現状から抜け出そうとしないのか、
中流層の人々は生きるために、家族を守るために一生懸命働いているのに、と歯がゆく思うかもしれない
例えば、高齢者に対しては、酒や薬物におぼれ家族や仕事、家を失ったのは、自業自得なことで、働かずとも生活保護はもらえるし、税金も免除され、社会福祉団体の提供する施しを受けて生きているのなら、何不自由もなく、そこに安住し続けるのも、うなづけると思えたり…
若者に対しては、五体満足なら、その手にシャベルを持ち、どんな形でも働けるだろう、
働けないのではなく働かない、または選り好みしているのではないか、単なる怠惰と仕事に縛られたくないからなんじゃないかと…生活保護や他人からの施しでドラッグやaアルコールを買っているんだろうと思えたり…
…そういう人も、もしかしたらいるのかもしれない
確かに、low income(低所得者)として、生活保護をもらい続ける方が、下手に働いてそれを受け取れなくなるより、金銭的にも生活としても楽らしく、低所得者をキープする人もいるらしい
生活コストや税金が高いカナダでは、もっとも多いはずの中流階級の人が一番生活するのが大変な気がする
だから、ネガティヴな感情をホームレスに感じる人もいるかもしれない
自業自得、怠惰、または、哀れむべき存在、負の連鎖による堕落…
以前ホームレスだったおじさんの話の中でもあったように、
子供のころの虐待がそもそものきっかけであった人も多数いる
または、パートナーの暴力やトラウマがきっかけの人もいる
不遇な生活環境で家出をしたり、アルコールやドラッグにのめり込んでしまった人はたくさんいるだろう
そうなるべくしてそうなったといわんばかりの家庭環境の人たちが、Hastingsにいるのだから
自分たちとはまったく違うし、可哀想な人たちなんだと、どこかで線引きしてしまっている人も多いのではないだろうか
だけど、
"through a blue lens"の中に出てくる数人の麻薬常用者もそうだし、
私が会った人たちや、聞いた話の中でもそうだけれど、
果たして、"彼ら" と "自分たち" がいる位置や世界は、そんなに遠いのだろうか…
そうでもなく、むしろほんのちょっと選択肢を違えただけじゃないかと感じた
自分や、downtownを行き来する人たち、食材を抱えて家族のために家路を急ぐ人たちの内のだれもが、真夜中にhastingsの路地裏でうずくまる、体中の細胞が不快に泡立って発狂する、ドラッグ欲しさに微々たる金で体を売る人になっていた可能性があったんじゃないのかなと、
彼らは、ほんの小さな分岐点で、隣の道を選んでしまっただけの話だったんじゃないかと
それを感じた時に、今、自分がここにいることに感謝せざるをえなくなるし、怖さに足元がすくんだ
むごいニュースをみて、顔をしかめた後に、TVのスイッチをoffにすれば、まるですべてが消えたかのような錯覚になるのと同じで
自分とは関係ないと思ってしまえば、世界はフィクションに近いものだから
hastingsの憩いの場pigion parkにて、
毎日、見回りをしている顔なじみのpoliceと談笑している
たとえば、ヘロイン中毒の人の話
彼は、中流階級の家庭の、
間違ったことと正しいことを教えてくれる両親の元、普通の家庭に育った
パンクロックにあこがれ、Sid Visciousなどの破壊的な人生を崇高するようになる
自分でもドラッグを試すようになり、それが引き金となる
刑務所に投獄され過酷な時間を過ごした後、ドラッグをなんとか体から抜き、頭が良かったので、高い学位もとったのだが
やはり、ドラッグの魅力に取りつかれたままで、仕事も家族も抱負もすべてを失ったとしても抜け出せずにいた
また、
都会に憧れや夢を持って地方から出てきた女の子
実際、思ったようにいかなく、挫折してしまう
少しよろけた道から、ドラッグに転落していく
最初は、いつだって興味本位だったり、アルコールや煙草、マリファナの延長上だったりする
そこから、気づいた時には、抜け出せなくなり、
ドラッグのお金欲しさに、$10くらいのお金のために、体を売っていたり
すべてを失ったり、20年以上抜け出せなかったり、兄弟やパートナーをoverdose(過剰摂取)でなくしていたりする人もいる
怖さも、ドラッグがどうしよううもなく悲劇的なことも知っているのにも関わらずに、やめられずにいる
もちろん、逆に
親が中毒者だったとしても、虐待されていたとしても、貧しかったとしても
それに手を出さない人がたくさんいる
また、経験としてドラッグを使ったことはあったとしても、その後に続けなかった人だっている
その選択肢が現れた時に、違う道を選んでしまったのは自分の弱さだと認められる、諦めに近い強さが、彼らにとっての唯一の自己肯定な気がするし
まだ何も知らない人たちが同じ悲劇的な道を選ばないことを願えるやさしさをもつ彼らの、孤独や痛みや絶望から救われる方法がドラッグ以外であってほしいと心から思う
前回触れたドキュメンタリーの"Through a blue lens"のポスターになった、April Reoch
(The odd squadが、高校のdrug-education program/薬物問題の教育のために作った映像)
子供たちが自分と同じ過ちをしないことを願い、このドキュメンタリーの協力とポスターになった赤毛のあどけない顔のかわいい女の子
肌が白いfirstnation/カナダ先住民でSquamish reserve (約160kmバンクーバーの北側の地域)からdowntownのきらびやかさに少し心躍らせて17歳の時にやってきた
彼女は心優しく、フレンドリーで陽気な女の子だった
そして、すでに小さな男の子のお母さんだった
初めに会った警官は、彼女にdowntown eastsideにいる場合のリスクについて警告していた
ドラッグにこれ以上関わるんじゃないよ、最終的に自分の体を売るようになって、自らを破滅することになるから、と
そして、6か月後に彼女をみかけた時、顔にカサブタやただれを作り、ドラッグにのめり込んでいた
彼女は、ドラッグのためにたった$10で自分の体を売る娼婦になっていた
彼女は、24歳までに少なくとも5回以上、ドラッグから抜け出すための様々な更生プログラムを試みた、自分のかわいい息子と一緒に暮らしたかったから
だけど何回も、元の場所に戻ってしまった
ただれた肌、壊れた歯、注射針の跡がたくさん残る体は、20代には到底見えない容姿をしていた
心臓も悪かったこともあり、最終的にSurreyにあるrecovery center/薬物中毒者更生施設に滞在していた
25歳の時、息子とクリスマスを祝うつもりで、クリスマスの数日前から施設を抜け出していた
そこから、行方不明になり、
12月25日の朝、40 East Hastingsの共同ごみ捨て場の隣に、殺されて袋に入った状態で横たわっているのを発見される
たった、25年の本当に短い人生だった
もしかしたら、全然関係ないと思えるのかもしれない、彼女は可哀想な哀れむべき人生だったんだと、TVのスイッチをoffにしてしまえば、それで終わりかもしれない
でも、今、自分たちが、ここにいることを考えてみた時、それは少なくとも感謝に値するほど幸福なことなんだと思う
ある程度生きてきた大人でさえ、
正しい道がどっちなのかとか、果たして正しい道などあるのかとか、
分岐点にいることさえ気づかないことが多いのだから
好奇心が強く、怖いもの知らずの子供たちが、どうやってそれを知って身を守ることができるのか
知識だけが、身を守るのだとしたら、本当に多くの生活していくための教育を受けることが必要なんじゃないかと思った