信じるモノは救われる、のかもしれない #9 Homeless in Vancouver (2014年7月の日記転載)
たまに思うのが、何か信じるものがある人は、何もない人より遥かに強いと思う。
それを顕著に感じるのが、
どん底からはい上がってきた人や、苦しみの中を耐え抜いている人を見たときである。
信じているものが、もしかしたら、目に見えないものであればあるほど、目に見える現実世界の苦しみや悲しみから隔離して考えられ、精神的な支えとなるのかもしれない
シェルターのある教会で働く、大柄な初老の男性がいた
四角い輪郭をした、鼻の下に白い髭を生やした
そこら辺にいそうな感じの、体格が良い白人の男性だった
椅子に座っていいかな、
と、はにかみながら近くにある椅子を引き寄せて
身体を少し重そうに、足に重心をかけてから、ストン、と座った
これまでの人生をかいつまんで話すよ
ぼくの親は、子供に暴力を振るうような親だった
物心ついた時から、虐待を受けていたんだ
12歳くらいになると、ぼくはアルコールや煙草を覚えて、のめり込み、悪い仲間がおのずと集まってきた
学校にほとんど行かなかったし、行っても、激しい喧嘩ばかりしていた
だから、学校は、すぐにやめることになった
15歳で仕事を始めた
家を出たかったし、お金が欲しかったから
そのうち、嫁さんをもらって、子供も出来た
ぼくは、相変わらず働いていたし、
一見ふつうの家庭に見えただろうし、そうつとめていた
だけど、違かった
昼間の仕事の他に、夜も"仕事"をしていた
車を盗む仕事
家族には隠していた
朝から夕方まで、"昼間の仕事"をして、普通に帰ってくる
そして、家族が寝静まったら、こっそり家を抜け出して、"夜の仕事"へ行く
また、家族が起きる前に、家にもどってくる
そんな生活を続けていた…
そして、
ある日、
家に帰ると、誰もいなかった
もぬけの殻だった
そこから、お酒と麻薬に、より深く堕ちていった
底なし沼のように
深く深く…
仕事も、家もなくなっていた
もう、いつなのかとか、どこなのかとか、生きているのかとか、何もわからなかった
本当にボロボロだった
気付くと、
この教会の前にいた
そして、神が隣にいたんだ
その時は、本当にひどい有り様だった
生きていることが、わからないくらいに
神に導かれるように、ここへ来て
そして、そこから、
ここのアルコールとドラッグ中毒の矯正プログラムを受けはじめた
そして、いまのぼくがいる
ここのスタッフとして働いている、いまのぼくがいる
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(私の拙すぎる英語力なので、怪しいが)
神の存在どうこうよりも、宗教うんぬんでもなく、
信じるものが、常に目に見え触れられる存在であったならば、彼は、ここにいなかったんじゃないかと思った
目に見えるものを支えにしていると、もしかしたら、
裏切られたり、なくなってしまった時に、簡単に人は壊れてしまうのかもしれない
だが、信じるモノがない人よりは、
なにであっても、信じるモノがあって、それを支えにすれば、人はどん底にいても、救われるのかもしれない
Hastingsにあるスケーターの店
ここの落書きが好き
事故で夭折したプロのスケーター