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無音の暮らし。

無音の暮らしは、以前は全く考えられなかった。
音が無い家にいるのが、考えられなかった。慣れない空間に違和感させ感じていた無音の暮らし。それにも増して無音でいる怖さまであった。まず 無音の暮らしがそれまで無く未経験だった。

自分の車に乗る時も、音楽かラジオが常。この空間もやはり無音から程遠い。
音のある方が、自分が落ち着くし癒しになっていると最近まで思いこんでいた。実際それで癒されていたことも確かにあるけれど。

それが、1日1組の古民家宿に初めて昨年何回か宿泊したコトで、「無音の暮らし」に対する思い込みが自分に凄くあったと気がついた。古民家での宿泊は、完全に無音の空間。夕食の時間もお風呂の時間も全てお客様に合わせてくれる素晴らしい対応。夜の時間が、ゆっくりと流れていて、宿泊した私たちと空間と時間全て宝石箱の中でキラキラ輝いている、そんな錯覚に不思議になるくらい素敵な宿泊だった。感動の宿泊だったのだ。

夕ご飯は、囲炉裏を囲んで 宿のオーナーが育てた有機食材での献立。お米も完全に有機米。全てホンモノで、調味料にもこだわっているので、とても美味しい。ほっぺたが落ちるとは、このこと。一度味わうと忘れられないほど。お櫃のご飯も残らずいただいた。満腹と満足で幸せ。

夕食後のお風呂も 飼っているヤギさんから搾った牛乳入り。これが、またまた温まる。ここでも、家では味わえない空間が楽しめた。

そこからは、無音で会話はあっても 思い思いの楽しみ方で夜を楽しむ。

会話も誰かが喋りだすと、他の者がその会話に反応して また言葉を返す。日常もやっているコトだが、日常はながらの会話で、何かをやりながらの会話になってしまう。真摯に受け止めての会話ではない。ここでの会話は、みんなが真摯に受け止めて、丁寧な言葉で返す。

この素敵な会話ができたのも、無音の中にみんなが身を置いているからだと気がついた。

自分達の日常の生活は有音が普通になってしまっていて、無音の生活暮らしは、全く考えられなくなってしまっていた。一度無音を体験すると その心地良さがすっと自分の身体に入ってくる。なんて心地よい。なんとも言えない癒しの空間。本来の暮らしのあり方を考えさせられた宿泊だった。

忙しいと言いながら、それを理由にして暮らしの合理化を必死に考えてきた。その合理化は、果たして自分にとって良いものなのか?と思うようにもなってきた。

忙しいと思っているから、例えば忙しくない時も忙しいと思っているコトはないだろうか?とも思えてきた。

それは、全て自分の感じ方考え方で、暮らしが随分変化するなと体感する。

無音の中に身を置く

とてもとても大切なコト。家族の団欒にも取り入れると、例えば子どもとの関係が変化したり、夫婦の関係も変化があると体感する。

ヒロさんとの関係も実際変化してきた。まだ途中道半ばですが。だから、これからも福地家復活プロジェクト進行していきます。暮らし 衣食住に意識を持ちながら ひとつまたひとつ。

いつもいつも最後まで読んでいただきありがとうございます😊

#日記 #福地家 #無音 #暮らす #心地よい #時間 #空間










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