あれから20年がたちました
7月25日は希望を胸にオーストラリアに足を踏み入れた「移住記念日」
20年前、
・英語もろくに話せない
・貯金も心もとない金額
・仕事も住む場所も決まっていない
・現地に知り合いはいない
という状態で、たった一人でシドニー空港に降り立ちました。
「7月なのに寒いんだ」と今思えばおかしな第一印象でした。
両親には「1年で帰ってくるから」と言い、実家を出て早20年。
生活の基盤はすっかりシドニーとなりました。
20年・・・生まれた赤ちゃんが成人を迎える月日が流れたってことですよね・・・
恐ろしい。
何が恐ろしいって、この20年に私は何かやり遂げたことがあるのか?と問いかけると「特にないんじゃね?」と思うからです。
現地での進学や就職に必死になっていた時期はありましたが、考えようによっては、日本より難易度は低かったのかな、と。
早い話、運だけでやってきた感がすごいんですよ。
困ったことに、たいして英語は上達してないし、オーストラリアの政治経済はさっぱりわからない。
薄っぺらいんですよね。これから海外を目指したい方に深い話とかアドバイスとかできる経験値がない。
さらに。。。年を重ねるごとに精神年齢や思考回路は退化しているような気がしてなりません。
20年前の私が今の私を見たらどう思うかなと考えると、たぶんがっかりしてるんじゃないかな。
・外国人の友達はいない
・英語力やばくてニュースは聞き取れない
・居場所はTwitter
・家事もたいしてできない(パートナーが身の周りの世話担当)
・「ネットで稼ぐ」という怪しげな仕事
これが私の現状です。
そして昔からの短所「協調性のなさ」「自制心のなさ」「忍耐力のなさ」に磨きがかかり、どうしようもない大人のできあがりです。
でもね、
20年前に憧れていた姿とはほど遠い大人になってしまったけど。
点と点がいつまでたっても線にならないけど。
「まぁ、悪くないかな」
と思えるんですよ。
負け惜しみとかじゃなくて、本心で。
ごちゃごちゃと考えなくてもいいことを考えてしまう夜もあります。
シドニーの現状は決して良いものとは言えないし、国境も閉じたまま。
それでも、私はシドニーで暮らすことを決めてよかったな、と思えるんです。
「決めた」という言い方はちょっと語弊があって、それほど深く考えずに現地企業に就職したことがきっかけではあったんだけど。
20年後の今はWEB関連でオーストラリアで独立、いっちょまえに事業主となりました。
自分1人なら食わせていける収入はありますが、事業規模も年商もはたから見れば満足いくものじゃないかもしれません。
でも、私が求めているのは「月商7桁!8桁!どや!」とかそういう世界じゃなくて、
好きな仕事でほどよく稼いで
好きな場所で暮らし
好きな人とだけ関わる
くらいがちょうどいいんじゃないかと思っています。
こんなユルっとした考え方でも、どうにか生きていけるのがこの国の良さ。
現在、シドニーはロックダウン中。なにかと規制に縛られている毎日です。
そんな中で迎えた移住記念日。
大きな山も谷もなく、がむしゃらに努力した記憶もありません。
それなのに、今夜は「よくがんばったね」と自分をねぎらいたい気分になっています。
まぁいいじゃないですか、今夜ぐらいは。
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