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「共通点」の危うさ

今日のツイッターのタイムラインが荒れてて、私はどっちかっつーと「disられてる側」の立場だったのね。

でも、分かり合えない人と分かり合う必要はないんで特に言及してないです。ハッピーターンたべてました。

そこで反応するほど「自分が他人にどう思われてるか?」はどうでもいいんでしょうね。

外的要因や属性の共通点で仲良くなる、、、は無理がある

ネットの世界でも現実でも自分との「共通点」があると、その人に対し親近感をおぼえるでしょ?

だからツイッターのプロフィールや固定ツイートには
・静岡県出身
・オーストラリア・シドニー在住
・ブログ運営
・国際恋愛・国際結婚
・パートナーはマレーシア人

ってことを書いといて「共通点がある方と繋がっていければ」と思ってるの。

でだ。

今日の火種は「プロフィールに国際恋愛・国際結婚・配偶者の国籍を書いてる人はフォローしない」みたいな主張だったんだよね。

リプ欄でもボロクソ言われちゃってました(^O^)/


国際結婚だけが自分を支えるステータス
神経逆なでされる
日本人の愚かな劣等感
それしか自己紹介できることない

他人の価値観をあーでもないこーでもない言うつもりはないよ。「そういう意見もあるんだね」くらいに軽く受け止める&スルー。

どっちが正しいとか正しくないとかって問題じゃないし、自分が変わる必要も相手を変える必要ないし、そもそも不可能。

(個人的な感想なんだけど、SNSやブログでは「中立」の意見より、どっちかに振り切った意見の方がおもしろいし、その潔さに人が集まると思う)

このツイ主もリプしてる方もちゃんと確認したわけじゃないけど、外的要因や属性は私と似たり寄ったり。

同じように海外で暮らしてたり、国際結婚をしてたり、、、っていう。

つまり「共通点」があるからといって仲良くなれるわけでも気が合うでもなく、

外的要因(住んでる国や婚姻スタイル)の共通点で繋がるきっかけができる。

でも、

内的要因(価値観・性格・考え方)の共通点でその繋がりが強くなる・または相違点で関係が切れる

と、こんなことを考えたわけでして。

ぱっと見、共通点がほとんどない人と内なるものが似ている場合も

この共同マガジンの相棒・オサムちゃん(@036_writer)とはツイッターで知り合ったんだけど、私たちには目立った共通点はありません。

僕とふくちゃんの共通点が驚くほど無い!性別も、住んでる国も、ライフスタイルも、何もかもが違う。

▼そんな私たちが共同マガジンに踏み切った経緯はこちら▼

ただ「なんか似てるな」って思うことは少なからずあるんだよね。

最近だと、

「後先考えずに物事を見切り発車してしまう落ち着きのなさ」

は似てるなと思った。

最初に熟考しないで「走りながら考えればいいか」って割り切って、行動が早い。(いい意味でも悪い意味でも)

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あ。

日付が変わってしまったので、この辺でおしまいにします。

ブログを書くときはきちんと構成考えてから書き始めるんだけど、この「The 無益 Media」は後先考えずに見切り発車で書き始めてしまうんだよなぁ。

いつも最後がぐだぐだになってる気がするんだけど、まぁいいか。

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ふくちゃん
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