刹那的で儚いネットの人間関係
ブログでごはんを食べさせてもらっていると「ネットだけの人間関係」が増えていく。
主にツイッターのフォロワーさんやASPの担当者、ブログの読者、直案件の企業の担当者ってとこか。
ネットで知り合った人とやりとりをしている時「この関係もいつか終わる」と常に心の片隅で考えてしまう。
ネットの人間関係は一時的なものだと。
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リアルでもネットでも人間関係は流動的で、その時の自分をとりまく知人・友人は変化していくのが当たり前。
だけどネットの人間関係はその変化のスピードがとにかく速い、と感じません?
人と深く関わることや、距離の取り方が苦手なので「これは一時的な関係」という前提があることでなんとなく気が楽になる。
ASPの担当者もコロコロ変わるし、Twitterでも「ブログ仲間」だと思っていた人もどんどんいなくなるんだよね。
だから、しょっちゅうコミュニケーションをとってた人がいつの間にかいなくなる、ってことに慣れっこになってく。
もちろん「寂しい」っていう感情もあるんだけど、「寂しい」の量は以前に比べ少なくなってきたかな。
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基本的にネットで知り合った人には会わない。
(友達の友達だった、とか、出張ヘアカットを頼んだ、っていう場合は会ってる)
SkypeやZoomで通話することもない。
ときどき、オフ会のお誘いや「会いたいです」って言っていただくこともあるんだけど、なんだかんだ理由をつけてうやむやにしたまま。
だから、今、ネット上でやりとりしている99%の人とは顔も知らない・声も聞かないままその人間関係は終わっていくんだろうな。
会ったり、話をしたりして距離を縮める必要性もわからないし、文字だけのコミュニケーションでじゅうぶん事足りるし過不足はない、と少なくとも私は思ってる。
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特にツイッターのフォロワーさんとは簡単にその縁は切れる。
違和感がある人だったらミュート・ブロックであっという間に自分の視界から「なかったもの」にできちゃうわけで。私もブロックされることあるしね。
何をつぶやいても「いいね」と思ってくれる好意的な人、その逆で私の言葉を胸くそ悪いと感じる人もいる。
「みんなから好かれよう」と思って発信をするのって無駄なんだよな。
だからブログでもツイッターでもnoteでも読んでいる相手に引かれないていどに本音を出すことで、ネットの人間関係はリアルのそれより心地よくなっていく。
だって取り繕う必要がないんだもん。そういう場所、大人は持っててもいいんじゃないかな。保健室的な存在っていうか。
ツイッターで知り合ったこの共同マガジンの相棒には「こんなこと言ったら引かれるかな」という配慮はほとんどなしでやりとりができる。
大人になってから無遠慮で話ができる気が合う人と出会えるのもネットの人間関係のメリットの1つだよね。
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でも。
それでも。
どんなに心地よい人間関係でもいつか終わる。それも、急に。
だから、その時に後悔しないように、ちゃんと楽しんでおきたいし、ふざける時は全力でふざけたい。応援したいし、役に立てるなら手を差し伸べたい。
私は相手の人生に爪痕を残せるようなたいそうな人間じゃない。
でも、もし私が明日死んでツイートやブログの更新が止まってしまったら「あの人、この頃 見ないよね?」と思ってくれる人が一人でもいれば嬉しい。