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「ため口でいいよ」「呼び捨てでいいよ」←いやいや、無理ですから
「ため口でいいよ!」
あ、来た。
この瞬間、私は少しだけ身構える。
知り合って間もない人や、オンライン上で知り合った人が、親しみを込めて言ってくれるこの言葉。
たぶん相手は気を遣ってくれているのだろうし、「気軽に話していいよ!」という優しさのつもりなんだろう。
でも私は思う。
えっ、そんなに仲良くなりましたっけ?
お互いの好きな食べ物すら知らないのに、もう敬語を捨てる段階なんですか?
そして、さらにハードルを上げてくる人がいる。
「呼び捨てでいいよ!」
うわああ、きたあああ!
この瞬間、私の脳内で何かがフリーズする。
呼び捨て? 本当に? それはちょっと早すぎませんか?
私は、一定の距離を保つことに安心感を覚えるタイプである。
知り合って間もないうちは、むしろ敬語があったほうが落ち着く。
「お世話になっております」「ありがとうございます!」のバリアがあれば、適切な距離感を保ったまま、穏やかに会話を進められる。
それなのに、「ため口&呼び捨てフリー化」の強制アップデートを要求されると、軽く錯乱状態に陥る。
とはいえ、相手の好意を無下にするのも申し訳ない。だから私は、ぎこちない笑顔を浮かべながら、
「……あ、じゃあ、すこしずつ……」
いや、すこしずつってなんだ?
ため口に「慣らし期間」とかあるんですか?
段階的にフレンドリーになれる仕様なんですか?
思わず自分自身にツッコンでしまうじゃないか。
最初から「お前さ〜!」と馴れ馴れしく話すのは無理。
まずは「です・ます」をやめるところから。
次に「○○さん」から「○○くん・ちゃん」にランクダウン。
最後に「○○」と呼び捨てにする……。
私はこのプロセスを踏まないと、心理的混乱が発生するのだ。
それなのに、世の中にはいきなり距離をゼロにする天才がいる。
出会って間もないというのに、「お前さ〜!」とか言える人たちだ。
もはや前世で親友だったんじゃないかと疑うレベル。
私はそういう人たちを眩しく思いながら、今日も新たな「ため口OK宣言」を受け取り、そっと心の中で思う。
「た、ため口に……慣れるまで……ちょっと待ってください……!」
私は「ため口に慣れるまでの時間」が必要なタイプなのだ。
いきなりは無理。でも、この気持ち、なかなか理解してもらえない。
「そんなにかしこまらなくていいよ!」
「距離を感じるから、敬語なしね!」
いやいやいや、距離は感じていいのよ。
むしろ、まだ距離があるのが自然なのよ。
そこまで仲良くないのに「お前さ〜!」とか言い出すほうが、よっぽど不自然じゃないですか?
人間関係には発酵期間が必要なのだ。
例えば、ぬか漬け。
いきなり生のキュウリをポンと放り込んでも、美味しくならない。
時間をかけて発酵させてこそ、いい塩梅の味わいになる。
ため口も同じでは???
じっくり寝かせることで、ちょうどいい距離感の「ため口」が完成するのだ。
それを「はい、今日からタメ口ね!」と即席で済ませようとするから、こちらの心が追いつかない。
しかし、この世には「発酵ゼロ秒理論」の持ち主がいる。
「最初からため口のほうが仲良くなれるって!」
わかる。言いたいことはわかる。
でも、急にフレンドリーすぎると、こちらの体感温度がバグるのだ。
だから私は、ため口の話題が出るたびに「段階的緩和」をお願いしたい。
・STEP1 → 「敬語+少しだけ砕けた表現OK」
・STEP2 → 「さん付けだけど、ため口混じりOK」
・STEP3 → 「呼び捨て解禁」
こうすれば、心の準備ができる。
でも、こういう「段階的ため口プロセス」を説明しても、「めんどくさっ!」と言われるのがオチなので、結局いつも曖昧な笑顔でやり過ごす。
そして、今日もまた新たな「ため口OK宣言」を受け取りながら、私は心の中でそっと思う。
「……せめて、もう少し時間をください……!」
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