ワークとライフに役立つネット記事(15)~「叱る依存」から脱却するには

 よくあるパワハラ、もしくはその一歩手前のパターンとして、「ミスをした部下を延々と叱り続ける上司」というのがあります。
 こういう上司は「二度とミスをさせないため」「部下を教育するため」、すなわち正義の執行として行動しており、全く悪気がありません。しかし、実際にミスがあり、注意や指導をする必要があるとしても、そのやり方が「相当な範囲を超えたもの」(労働施策総合推進法30条の2)であれば、立派なパワハラです。単発であればまだしも、「延々と叱り続ける」行為を何度も繰り返すようであれば、まずパワハラと評価されるでしょう。

 そういう人は何故、「延々と叱る」行為を繰り返すのでしょうか?
 その病理を明らかにするタームが、今回の記事のテーマである【叱る依存】です。
 記事ではまず、「恐怖や苦痛のようなネガティブな感情を利用して相手に変化を起こそうとする関わり方には、効果よりもデメリットが多い」ことが科学的な常識であると述べます(記事の後半では、他人から強制された忍耐では成長につながらず、むしろ「学習性無力感」に陥らせることも)。
 そして、「叱らずにはいられず、自分の力でやめられなくなってしまう」という状態は、「叱る依存」であり、行為に関する依存(アディクション)であると指摘します。このような依存は、自分の人生の不全感を抱いているほど起こりやすく、「権力を行使して叱ることによって得られる快感で自分を何とか保っている」のが典型的なパターンといいます。
 叱った瞬間は、脳内の「ほしい」の回路は満たされるが、「好き」の回路は満たされず、充足感や満足感は得られない。相手の行動変容を起こすような学習効果も得られない。だから繰り返してしまう。叱らずにはいられなくなる。そのようなメカニズム(買い物依存症などに類似)が説明されています。

 部下を叱る行為は、職場における当然の正義の行いと捉えられがちですが、リスクマネージメントの観点からは、「叱る依存」の現れであるおそれ(いずれ本格的なパワハラに発展するリスク)も考えなければなりません。
 叱っても効果が薄く、むしろ弊害が大きいとすれば、実際の行動変容につながる効果的な指導方法はどのようにすればよいのか? マネージメントに当たる者には、常に科学的な学びが求められます。