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【災害】能登半島 二重被災の衝撃と希望
二重の被災
能登半島には、1月1日の地震と、9月中旬の豪雨により、2度の被災を経験し、いまだに外部との交通が杜絶している集落がある。
住民はヘリコプターにより救出、避難所に移送されたが、集落に通じる道はいまだに通行できないという。
11月1日から3日にかけて、輪島市内の仮設住宅で、住民の方からお話を伺った。
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震災以前の、毎朝集落のベンチに座り、漁に出られるか相談した日々、豊かな海の幸、行動経済成長期を経て減少を続ける人口、空き家問題についてお話をうかがった。
1月1日の被災で被災し、ようやく秋祭り再開のめどが立った矢先に、9月の豪雨が発生し、祭りの準備のために戻った住民は再度の被災を体験したという。しかし、集落に戻れない状況で、まだ具体的な再建計画のめどは立たない。
今回の調査には、復興計画の専門家が同行しており、住民による復興プランの策定について助言していた。
一般向けの災害学では、災害の備えや避難行動にばかり焦点が当てられがちであるが、震災後の現場を歩くと、災害後に問題になるのはそれ以上に復興計画や再建の過程であると感じる。再建のためには意見や利害の異なる住民の間の調整、住民と行政の対話が必要であり、地域は再び試練に立たされる。そのため、支援はどうしても数年の長期間にわたる。
しかしまた、仮設住宅にいて感じたのは住民と支援団体の力である。
集会所には卓球台が置かれ、住民たちが卓球を楽しんでいた。筆者も対戦をすすめられたが、毎日のように集会所で卓球を楽しんでいる歴戦の猛者にはまったく歯が立たなかった。聞けば、彼女らはみな80代の高齢者だという。震災前から、地域の公民館で卓球を通して深いつきあいがあったという。
また、土曜日、日曜日には外部の団体による体操や音楽療法、映画の上映会が行われた。体操の団体はここの住民が加賀市に避難している時から、定期的に活動を行っているという。
輪島市中心部
輪島市の中心部では、すでに電気や水道が回復し、営業を再開した店舗もある。一方で、倒壊した住宅がいまだほとんど手つかずのまま残っている。解体を待つ建物と、普通に人が住んでいる建物が隣り合っている状況は、東日本大震災当時とも異なる。まだ道のりは長い。
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二重被災の爪痕
能登半島は広い。金沢市から半島先端部の珠洲市までは、およそ2時間半かかる。その途中の道は、1月の地震のあとに補修した跡が凹凸になっており、とても状態がよいとはいえない。
豪雨の跡はすさまじく、地域の宝であるはずの里山が、むざんな土砂崩れを起こしている。
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この写真を撮影した11月3日はちょうど雨で、輪島市の放送でも警戒を呼びかけていた。崩れた土砂が泥水になり、川を濁流が覆っていた。
この絶望から抜け出すすべが思い浮かばない。自然豊かだった土地が荒れ果てていくのを見るのは、なんとも悲しい。
震災から始まる新しい試み
今回宿泊したのは、深見センター(旧深見小学校)である。もとは廃校になった小学校であるが、震災後は地元住民や支援団体の尽力により、現地を訪れるボランティアの宿泊所として活用されている。能登半島全体で見ても、宿泊施設は多くない。こうした宿泊施設の存在は貴重である。
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宿泊者は校舎またはインスタントハウスに泊まる。インスタントハウスの中には段ボールベッド2台と、机、椅子などの設備がある。段ボールベッドの間に4枚の畳があり、広さも申し分ない。ただし、水回りはないので、風呂とトイレは校舎内の設備を利用する。
このインスタントハウスは能登半島の各地で使われている。これまでの災害では見たことがなかったが、調べてみると、東日本大震災をきっかけに開発に着手した新しい製品で、被災地での活用はトルコの地震に続く2番目の事例だという。
また、仮設住宅も従来のプレハブ型のみならず、木造住宅やトレーラーハウスなど多彩な形態が見られる。トレーラーハウスについては、平時はホテルやリゾート地などで利用し、災害時にトラックで被災地に輸送するしくみの構築が進められているという。
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被災地は絶望ばかりの地域ではない。都会以上に、未来に向けたさまざまな試みが行われている。これまでの制度や常識から外れた試みも、復興のためには必要になる。この力は、最後には社会を動かす世直しの力になると信じている。