深圳の事件に思う

 深圳で日本人の男子生徒が襲われた事件を聞いて、本当に悲しい。

 中国で「わたしは日本人です」と自己紹介すると、ほとんどの中国人は、友好的か、あまり関心のない反応をする。しかし、中にはごくごく一部であるが、強い反感や憎悪を示されることがある。民族間の憎悪は消えていない。

 しかし、この話を中国人の友人に話しても、そのような反応をされると信じてもらえないことがある。「そんなことないよ、中国人は日本人を悪く思っていない」「わたしもみんなも日本が好きだよ」という。
 はては、わたしが中国人を「誤解」している、「無理解」であると言われることがある。中国人は日本が好きなのに、なぜ理解してくれないのか……と、わたしが批判されることがある。

 わたしの周囲の中国人が日本に好意を抱いていること、多くの中国人が日本に少なくとも敵意を持っていないことまでは、理解できる。しかし、ごく一部に「憎悪」「ヘイト」があることは、日本人としてしばらく中国に滞在した経験から否定しがたい。民族間の感情の問題で、マジョリティの側が深刻に捉えていない事象がマイノリティの視点からは確実に見えている、ということはありえるはずだ。ヘイトの問題で、当事者の感じている不安や恐怖を否認することは問題から目をそらすのに等しいことだ。

 分断と対立が進む今日の世界で、民族間の憎悪は一部の地域だけの問題ではない。欧米のいわゆる先進国でも、もちろん日本でも、ヘイトや差別は根深い問題として存在する。
 しかし、中国にも「それ」が存在すること自体を、認めてほしい。
 わたしの発言が中国人の友人たちの反発をもたらすことになったとしても、言わねばならない。「それ」は確かに存在するのだと。憎悪の存在を認めなければ、結果として事件の真相から眼をそらすことになるのではないか。
 
 憎悪の犠牲になるのは、日本人ばかりではない。蘇州の事件のように勇気ある中国人が犠牲になるかもしれない。わたしは日本人の為だけに批判をしているわけじゃない!
 
 もし真相が明らかにならないなら、日本人を教えている教員として、安心して留学生を送り出したり、交流事業を進めたりすることさえもためらわれる。

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