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『鬼滅の刃』に見る洋装の文化史

※本noteで用いる鬼滅の刃関連の画像は、公式サイトで公開されているものないしYouTubeで公開されている動画のものに限る。

まさかここまで鬼滅にハマるとは...と、自分でもビックリしている。あれほどまでに「キメハラ」に嫌悪感を示し、「ここまで言われたら絶対に観ない」と決心していたのにも関わらず...である。

2021年1月、映画館で『劇場版 鬼滅の刃:無限列車編』を2回観た後、ほとぼりが冷めないうちにアニメ版の全26話を全て観た。アニメ全26話を一気に観たことで、炭治郎家族の惨殺、修行、選別試験の合格、初の十二鬼月との対決、妹をめぐる裁判、パワハラ会議、無限列車の任務...等々、ストーリーの基盤となる部分、そして映画に繋がる要素を丁寧に追うことができ、より劇場版の位置づけが明確化したと言える。

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以前のnoteでは、劇場版のストーリーの中で、特に印象的だったメインキャラクターのセリフを引用してまとめたが、今回は『鬼滅の刃』全体に視野を広げ、同作品の舞台(?)となっている大正時代の文化について見ていきたい。

とはいえ、このような視点についても、どの側面から書くのか、選択肢は、そう「無限」にある。そのため、今回は私のお気に入りキャラである「魘夢」に注目してみたい。

大正時代については、このnoteで過去何度も取り上げてきたが、今回はそこまで堅苦しいものではなく、あくまで鬼滅を楽しむポイントとして概観する程度にとどめたい。鬼滅ファン全員が大正時代の文化に着目して作品を楽しんでいるとは到底思えないが、「そういう視点で作品を楽しめることができる」という1つの提案をしてみたい。鬼滅の舞台が大正時代であることは、すでにYouTubeその他の媒体で色々な人がまとめているので、私のnoteではちょっと想像の付きづらい「魘夢と大正文化」という視点で進めていこう。

魘夢の服装

十二鬼月のうち、下弦の鬼の1番目に位置している、通称「眠り鬼」とされる「魘夢(えんむ)」。中性的な顔立ちと「人の苦しむ姿」を観るのが好きという変わった性格が特徴的なキャラクターだが、この魘夢の格好からも、実は「近代」という時代の特徴を感じることができる。「大正文化」というよりは、広義における「近代」という方が正確かもしれない。

魘夢がメインキャラクターとしてストーリーに登場するのは、いわゆる「パワハラ会議」を除くと、今回の劇場版だけであるため、使えるフリーの画像が少ないものの、公式から発表されている動画等から拾った画像を見ると、魘夢の格好に驚かされる。他のキャラクターとは異なり、和服ではなく、洋服を着ており、しかも正装らしき格好をしているのである。

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予告編から魘夢の映るシーンを抜き出してみよう。スーツのようなものを着ていることが分かる。ジャケットらしきものの下にはワイシャツを着ており、ボタンは上まで留めている。ただ、今日一般的に着られる日常的なスーツとはやや趣を異にしていることが分かるだろうか。また、上の写真では、ズボンが一部見えているが、魘夢はストライプ柄のパンツを履いているのである。さらに、いわゆるネクタイも締めていない。

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こちらは、映画の公式サイトで公開されている画像であるが、やはり一般的なスーツとは異なるタキシードのような洋服を着ているが読み取れるだろう。魘夢の背中に大きく広がったテール(尻尾)が確認できることからも、単なるスーツではない。「執事の格好」と表現するのが最もしっくりくるかもしれない。

燕尾服の歴史

燕尾服は歴史的にも最も高い正装とされてきた。タキシードとの違いは、タキシードがひだのあるシャツを着て黒い蝶ネクタイを締めるのに対し、燕尾服は尻尾のあるジャケットと白いベストを着ることとされている。つまり、魘夢が着ているのはこの燕尾服というわけである。スーツでもなくタキシードでもない。

この魘夢の格好と、鬼と対峙し「狩る」側である「鬼殺隊」の隊員たちのそれとを比較すると、洋装である魘夢に対して、至って鬼殺隊が日本的な服装であることにまず気づかされる。「鬼」を「狩る」物語であるから、当たり前と言えば当たり前ではあるが、魘夢の服装と対比すると、興味深い「日本」と「西洋」の比較ができよう。

鬼殺隊隊員の服装は、人によって多少異なるが、基本的には学ランのような黒服で統一されており、その上から法被のようなものを羽織っている人や、着物を袖まで完全に着込んでいる人などが確認できる。足は脚絆に草履というスタイルである。完全に伝統的な日本人の格好である。もちろん時代的に帯刀は法律違反であるが、「鬼殺隊」を軸に眺めると、むしろ魘夢の服装が「浮いて」見える。

1872年に出された太政官布告の第339号「大礼服及通常礼服ヲ定メ衣冠ヲ祭服ト為ス等ノ件」で、はっきりと「通常礼服」として燕尾服が指定された。これに対して、当時のヨーロッパ諸国における「最上位」のオフィシャルな宮廷制服に倣って、文官ほか式典参加者が身にまとうものとして「大礼服」が規定された。

今般勅奏判官員及非役有位大禮服並上下一般通常ノ禮服別册大禮服制表圖式ノ通被相定從前ノ衣冠ヲ以テ祭服ト爲シ直埀狩衣上下等ハ總テ廢止被 仰出候事 (「大礼服及通常礼服ヲ定メ衣冠ヲ祭服ト為ス等ノ件」明治5年11月12日布告) 引用:国立国会図書館デジタルコレクション 法令全書

江戸時代末期、いわゆる幕末期から明治初期にかけては、公式の祭事・式典における服装も正式に規定されておらず、公家の衣冠から軍服と多種多様であった。明治に入り、岩倉具視を中心として政府の上層部の人間の正式の服装として、先の公家の格好に倣ったものが提案されたが、武家出身者からの反対もあり、ヨーロッパに倣う形で、洋装の「大礼服」及び「通常礼服」が定められていったのである。

以後、政府の要人ほか公式の式典に参加する者の服装は、各種法律によって細かく規定されていった。

魘夢の過去と時代

2020年秋に無限列車編が劇場公開された際、来場特典で配布された鬼滅の刃零巻において、魘夢の過去が明かされている。それによると、魘夢は、人間時代に、子供の頃から「夢と現実の区別がつかない」人間だったこと、医者でないにも関わらず、催眠療法を悪用し、病気で死期が近い患者に「健康になった」と信じ込ませ、後で嘘だったことをバラす最低の人間だったことが記されている。

実際のところ、公式にはこれ以上の情報は明かされていないため、魘夢がどのような形で鬼になったのかは分からない。有名な「パワハラ会議」での無惨に対する言動から分かるように、そこには「サイコパス」な人間像が映るが、果たして魘夢の人間時代の実態はどのようなものだったのだろうか。

よく言われるように、鬼滅の刃に登場する鬼は、それぞれ過去のトラウマや出来事、その人の個性や特徴を抱えたまま鬼になり、鬼の外見や心の在り方に強く影響を受けている。これを踏まえて推測されば、おそらく魘夢は「それなりに身分の高い家系出身の人間」で、「家庭内その他における人間関係の影響であのような人格」になったと考えることができよう。

大正期には洋装も一般の国民にも広まり、決して「政府上層部の一部の人間」しか身にまとうことができなかったわけではなかった。とはいえ、実際は現代とは異なり、ましてや「文化の浸透率」という面では、日本における「近代化」は明治末期以降、やっと本格的に進んだと言わざるを得ない面もある。

風呂敷を広げながら、しっかりした結論を提出できない形となるが、いずれにせよ、魘夢の服装は、他の鬼とは全く異なり、また鬼殺隊の隊員のそれとも全く異なった「洋装」、しかも当時の日本では「通常礼服」と規定された「燕尾服」だったことが興味深い。

歴史の中の文化史という文脈で鬼滅の刃を眺めてみるのも面白いかもしれない。

(終)

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