2024年11月25日(月)記録 先輩教師⑤
実は七三分け先輩教師は、プライベートでは時間にルーズだった。成田からイギリスへ発つ日、私が彼の自宅に迎えに行ったら留守。まさかと思ったが、学校に仕事に行っていた。遅れて来た彼に「遅刻してしまいますよ」と言うと「大丈夫ですよ」と彼。
彼の車に乗り換えて成田に向かい、フライト30分前に到着。彼が駐車場に車を置きに行っている間に、私は搭乗手続き。係の人に「実際、フライト何分前まで大丈夫ですか?」とお聞きしたら「もう、その時間を過ぎています」と怒り顔で言われてしまった。やっと彼が到着し、CAさんと一緒に走って飛行機へ。今思うととんでもない乗客だった。ただ、エコノミーがいっぱいになってしまったのか、まさかのビジネスクラスに案内された。
味をしめてしまった彼は、翌年も遅れて来た。そして、成田に着いて搭乗手続きに向かったのはフライト13分前。私は「アムステルダム経由ミラノ行きは間に合いますか?」とグランドスタッフにお聞きしたところ「お客様、飛行機は電車ではありませんよ。もう間に合いません」と言われてしまった。呆然とする私に彼女は「1時間遅れのフランクフルト経由ならお一人様6万円払っていただければ可能です」と言って来たので、「遅れた原因の彼に払わせますからお願いします」と言ってなんとかイタリアに行くことができた。
イタリアに着いてすぐにヴェネチアに移動し、翌日、私はホテルの人に近くでサッカーの試合を観られるか聞いたところ、観られると聞いて二等車に乗りウーディネへ行き、ウディネーゼvsナポリの観戦。駅に着いて全く英語が通じない窓口でバスチケットを購入。「スタチオン、スタジアム、スタジアム、スタチオン、ドゥ」と言ったら、往復のチケットらしきものを渡された。そしてバス停探し。キョロキョロしている私に車掌姿のジョアンヌさんというオジサンが近づいてきて何か話しかけてくれたので「スタジアム」と言ったら「オーケー」と言ってバスまで案内してくれ運転手に何やら話してくれ「乗れ」と合図してくれた。運転手の近くに立っていると「ここで降りろ」との合図。スタジアムに着いてチケット売り場に行って、チケットを購入しようとしたが、イタリア語で何か言っていて売ってくれない。後ろから若者が英語で話しかけてくれて「あなたの買いたいチケットはスタジアムの反対側に回らないと購入できない」と教えてくれ、無事チケット購入。観客席に入り、自分の座席に行くと、知らないオジサンたちが占有している。ジェスチャーで「そこ、俺の席」と伝えると、「あちこち空いているだろ!どこにでも座れ」と言う彼ら(確かに)。試合中、日本のサッカーとスタジアムが盛り上がるポイントが違うと感じた。彼らは判断のいいプレーに対し「ブラボー!」と歓声を上げていた。歴史の差を感じた。
帰りにおじさんたちが「ISETAN、MITSUKOSHI、SOGO」とか言いながらバス停まで送ってくれた。どうやら、オジサンたちは日本のデパートへ靴を輸出しているらしかった。バス停に着くと笑顔のジョアンニさんが「はーい!」。彼の案内で無事駅に戻り、イタリア人はみんな親切だと思っていた。その時までは。
ヴェネチアに戻る電車の二等車の車両に、アジア人の私1人。連結部に鎖をジャラジャラさせた若者数人がいたので、少し嫌な予感がしたので、居眠りしないようにしていたら、1人の若者が、500リラのコインを2つ持って近づいて来て、何やらイタリア語で話しかけて来たので、1000リラ札と交換してと言っているのかと思い、お札を渡して、500リラコインを渡すように手を出したら「サンキュー」と言って去ろうとしたので、胸ぐらを掴んで文句を言おうとしたら、またイタリア語で捲し立ててきた。他の若者が遠くから見ているので、身の安全を考えて1000リラを諦めた。人生初のカツアゲだった。ちなみに当時のレートで1000リラは80円ほどだが、とても嫌な気分になった。
旅をするとフレンドリーであることの大切さと親切であることの素晴らしさを痛感する。言葉が通じない、或いは、見知らぬ土地へ来るということは大変なエネルギーが必要である。でも、その分得る物も多い。自発的、能動的に動く習慣。そして、そのように動いた後の成就感は最高。
先日、大手企業に勤務する大学の同級生が「今の若手は海外出張をしたがらない。面倒みたい。だから還暦近い俺たちが行く」と話していた。