サッカー指導者として飛躍(浦和市立高校)時代15—ブラジル珍道中11
ブラジル13日目、いよいよ今日から研修。ブラジル人コーチによるトレーニングが始まる。
午前中はノルベルトコーチによるフィジカルトレーニング。フィジカルと言っても、ほとんどボールを使ってのサーキットトレーニング。
午後はカルリーニョスコーチによる技術トレーニング。ほとんどが動きながらのもの。
ノルベルトさんはブラガンチーノ(現在のレッドブル・ブラガンチーノ)のフィジコだった人。カルリーニョスさんはセラネグラの2部のチームの監督だった人。GKコーチのガウショさんは現役GK(あんなに上手なのに有名なチームのキーパーにはなれないそう。彼のパントキックはバックスピンが綺麗にかかって落下点に速く到達するが胸トラップしても痛くないと生徒らが言っていた。あの時「どうしたらそのキックができる?」と質問したら「この蹴り方を何年もやっているから」と言われた。日本に帰国後、後にJリーガーになった浦和市立高校の教え子のGKと2人でガウショのパントキックの練習をしたが、あの時は全く蹴れなかった。今はどう蹴るかわかる。アウトに乗せるように股関節を外旋させながら重心を前に移動させながら蹴る。今では日本でも、レッズの西川選手や多くのJのGKがこのキックをするようになった。
夜に、ノルベルトさん、ガウショさん、そしてこの日から浦和南の先生と交代でやって来た浦和高校の先生と4人でボッチャをした。私がボッチャをしたのは最初で最後だった。あの時、ブラジル人コーチ達が使っていたポルトガル語の「オパ」や「ブリンカデイラ」等の身体を動かしながら覚えた言葉は今でも忘れていない。走る:「コヒーダ」、落ち着いて:「カーマ」、柔軟:「アロンガメント」等も覚えてる。
この日からお世話になったホテルのオーナーの息子(我々は彼のことを「ぼん」と呼んでいた。いかにも金持ちのおぼっちゃまだったので)は、テニスばかりしていた。通訳さんの話では、ブラジルは「ぼん」のような金持ちが全体の1割、中産階級が4割、残りの5割が貧民街の人だそう。貧しくて教育レベルが低いため、サッカーで成り上がっても、プロで長続きするのはほんの一握りだそう。ペレ二世と言われていた若手が何人も消えっていったとか。