心さえ軽やかに行けたら
「自分のこと言ってるみたい」
この曲を初めて聴いた時、そう思った。
この曲が発売されたのは私が中学3年生の時だった。
吹奏楽部に入って3度目の夏だった。
吹奏楽部員にとって夏とは特別なものらしい。
「コンクール」というものがある。
大きな編成であれば全国大会をかけて
ひと夏を駆け抜けるし、
少人数の編成でもいい賞を貰うために
やっぱりひと夏を駆け抜ける。
吹奏楽部員にとって夏とはそれくらい特別で
そして青春なのだ。
かくいう私は中高一貫校に通っていたのだが、
当時は高校部門しかコンクールに
出ていなかったことに加え、
この年だけ何故か方針転換をして
オーディションを行ったのだ。
見事に落ちた。
落ちたことは当然といえば当然だった。
むしろ私が合格して、
当時部長だった子が落ちた方が問題だったのだろう。
当時の私は楽器を初めて3年目だったけれど、
まぁ何も出来なかった。
音が人に聴かせられるレベルに何とかなっただけで、
指も回らない、ただ楽譜を追うだけの演奏。
まぁひどいものだった。
人より遅い歩みに辟易し焦り、
「才能がないな」と思い溜息を着く日々。
ただ地道な努力が実ったのか、
翌年にはパートの中で一番指が回るようになったし、
多分パートの同期の中で音は綺麗だなと思うようになれた。
その分嫉妬や羨みもあったのだけれど。
話を戻す。
そんな時出会ったのが
ポルノグラフィティの「ギフト」だった。
ポルノグラフィティのファンになって
3回目の夏だった。
この曲は「才能」を「神様からの『ギフト』」と例え、
周囲と比較して「ギフト」がちっぽけで大したことなくて、
周囲の持っている「ギフト」に羨んだりして、悩んで、
でも結局は「考えたり悩むより飛び出してみよう」
と、応援歌といえば応援歌である。
私はこの曲を聴いた時「ハッ」とした。
当時は歌詞の意味がよく分からなかったけれど、
背中を押してもらえたことは確かだったからだ。
当時の私は自信がとにかくなかった。
自信がない故に周りから結構な扱いを受けていて、
ますます自信がなくなっていた。
けれどこの曲を聴いた時に確かに前を向けたのだ。
それ以来定期演奏会でもコンクールでも、
とにかく大きな本番の当日は電車の中で
この曲を聴いた。
この曲を聴いて奮い立たせていた。
この曲のおかげで私はこの後の吹奏楽部人生を
駆け抜けられたと言っても過言ではない。
大学を卒業して約2年後、
ポルノグラフィティのライブで「ギフト」が演奏された。
当時仕事で病んで悩んで辞めたくて、
とにかく仕事から逃げたかった時期だった。
そんなタイミングでの「ギフト」は、効いた。
ライブで初めて泣いた。
その時初めて本当に歌詞の意味を知った。
本当の意味で歌詞の意味を知って、
「この曲は私の人生の指針に出来る」、
そう思った。
恐らくこれからも人と比較して落ち込むことがあるだろう。
これからも人と比較して羨むこともあるだろう。
けれど、神様からもらった「ギフト」を生かすも殺すも
自分次第だ。
そして「ギフト」を磨いて綺麗にして大きくできるのも
自分次第である。
これからも沢山悩んで自問自答するだろう。
けれど、ウジウジ悩んだって仕方ないじゃない。
いつまでも立ち止まってちゃダメじゃない。
「ギフト」の歌詞を借りるなら
自問自答 きっとそこには答えがないことを
意外と前に気付いてたかも 悩んでる自分に酔っていた
明日にかかる橋はもろくも崩れそうで
今行かなくちゃ 駆け抜けなくちゃ
心さえ軽やかに行けたら
である。
そこから私は考えた、行動した。
そして、少しだけど私は変わった。
今の私がいるのは自問自答して行動したからだ。
けれどそれ以上にあのタイミングで
あの曲を聴けたからだと思っている。
私の人生の勝負曲、
それはポルノグラフィティの「ギフト」だ。
胸を張って言える。