「1人でやる」という古い物語を終わらせる
昨日、ふとしたきっかけから俺のバグが発動し、朝からずーっと、吾郎さんに泣きながら話を聞いてもらう。
かつての、自分の深い傷つきについて。
かってのではないね、未だ生々しく未完了なものについて。
パートナーシップってものすごく不思議で、自分の深い深いパターンとか頭では忘れてるような傷とか、いろんなものが関係性の中で浮かび上がって出て来る。
眠っていた痛みが浮かび上がって来るということは、「出てきても大丈夫」という信頼が築かれているからで、関係性が深まっているということでもあるんだけど。
今回、俺が頭では忘れていたようなことを吾郎さんに話し始めると、腹の底から涙が溢れて嗚咽するほど泣いた。
吾郎さんは仕事を遅刻してまで一緒にいてくれた。
辛かったと、自分自身では認められないほど、辛かった。
辛くなかったことにしたかったほど、辛かった。痛かった。
1人ではとても蓋が開けられないほどに。
辛さを認めて痛みを感じてしまっては、もう何かが決定的にダメになる気がして、1人ではとても抱えきれないと恐れていたから、ないことにしていた。
感じることは、こわいから。
また、自分は1人でしないといけないのだからと、「1人で生きる」の物語にも影響されていた。
『痛んで落ち込んで倒れてしまっても、誰も助けてはくれない。だから感じることは、あることにすることは危険だ。』
どこかでそう思ってしまったことも、痛む。
大したことなかったんじゃないかとか、
これくらいでとか、
もう何年も前のことなのにしつこいとか、
あれはお前も悪かったんだとか、
傷つけるつもりはなかっただろうとか、
自分の中にお化けの声がたくさん響く。
不安になって、思わず吾郎さんに
「俺は辛いと思っていいんだろうか」とこぼした。
吾郎さんは「すっごく辛かったと思う」と言ってくれた。
また涙が流れた。
痛みの深さを共に認めてくれて、怒ってくれて、俺が自分ではできないことを、抱きしめながら一緒にやってくれた。
俺は先日の誕生日に、
「ひとりでやる」を終わらせる、と宣言した。
自分はひとりぼっちだ
1人でやらなければいけない
自分だけで歩かねばいけない
そんな古い物語を何十年も生きてきた。
でも、もう終わらせる。
そして、「みんなといっしょに」を始める。
世界を信頼して、
愛する人に心を開いて、
愛されることを喜んで、
そうやって、ひとりを抜け出して「いっしょに」の新しい物語を生きる。
もうそれが始まっている。
もう、俺だけで俺を守らなくていい。
11月は、破壊と創造の、破壊が起こる月らしい。
俺は、「自分だけで生きる」「自分だけで自分を支える」という古い物語を破壊する。