
改名を、することにした。
改名を、することにした。
いよいよ。満を持して。
戸籍名と普段使っている通称名(以下通名)が異なっていて、生活で逐一不便だからだ。
俺の戸籍名は一目見て女性とわかる名前のため、十数年前にトランスジェンダーだとカミングアウトを始めたタイミングで、自分で呼ばれたい通名を名乗り始めた。
当初は友人にニックネーム的に通名で呼んでほしいと伝えていたが、徐々にその使用範囲を広げて、ネットショッピングの会員登録、カラオケや美容院など身分証明が不要なサービス利用時の会員証の名前、病院に行った際に交渉して診察券の名前だけ通名にしてもらう、担当者に頼んで仕事の名刺や書類を通名で作ってもらう…など、じわじわと通名で社会生活を送ってきた。
特に郵便には気を配っていて、できるだけ通名で届くようにした。
というのも、性同一性障害の診断書があれば改名はさほど難しくないのだが、診断書を取っていない俺は、通名の使用実績を積み上げて『通名を永年使用している』(長く使っていて実質通名で生活している)という切り口で改名をしようと目論んでいたから。
診断書を取らなかった理由はいくつかある。
信頼できるジェンダークリニックの初診が半年とか1年待ちとかだったり、予約もなかなか取れない、みたいな話を聞いていることや、困難を感じているけれど実際に先生と面談して、万一「あなたはトランスじゃない」とか言われたら嫌だな、とか。
自分の「性別違和」なるものが、一般的とされる基準に当てはまるものなのか、イマイチ自信がなかったんだと思う。俺にとって俺の感覚は普通の感覚だけど、それがなんらかの基準に照らされた時、どう見えるかわからない。
でも何より、「自分にとってしっくりくる名前を使う」という、俺からしたら当然の人権を行使するにあたって、なんで金やら手間やらかけて人に診断される必要があるんだ、そんなん変だろうがという現行の社会のあり方に対する反発心が強かったからだと思う。
セクマイの痛みを個人の責任に集約しない。
間違いなく、俺たちの痛みの理由の多くは未熟な社会の責任だというスタンスをずらしたくない。
という思いと、
とはいえ明日変わるわけではない社会では、この名前は暮らしにくい。
という間に挟まれて、実績を貯め始めてから8年くらい揺れ続けた。
今年、時が満ちたのか、自分の男性性にしっかり向き合い始めて。
服を変え、髪を変え、一人称を変えていく中で、ようやく準備が整ったらしい。
ついに、名前までやってきましたよ。
感慨深いぜ…。
1年以上かけて改めて、
『自分が可能な限り自分らしくいることに妥協したくない』
『あまり無理はするつもりはないけれど、現状で取れる手立ては取っておきたい』
という気持ちを大切に育ててきた成果だと思う。
かつては赤ちゃんのように弱々しかったこれらの願いも、すっかり大きくなって…お兄さんしみじみしちゃう。
というわけで、重い腰を上げて動き出したのね。
使用実績に少し不安があったので、ちょっと迷ったものの、友人たちに通名で年賀状や手紙を送ってほしいとSNSで頼んだりもして。
しかし、まさかこれがトリガーだったとは、当初の俺は考えもしていなかったのです…。
というわけでもうちょっと続くよ!!