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俺だって愛されたい、たとえ何者でもなくとも
お盆明けぐらいから雲行きが怪しかったが、ここ1週間特に胸苦しさと不眠、急な不安感が極まってきていた。
急な動悸、ほてり、吐き気の中、講演はなんとかこなしたものの、その他はほぼダウン。
「これ3月の時にそっくりやんけ、パニック再発したかな…」ってかなり冷や汗をかいた1週間を経て。
なんかデカめの地殻変動が起こり、ちょっと一山抜けたっぽい。
大事なことだから是非聞いてほしい。
* * * * * *
小さい頃から俺の目には、困ったり苦しかったり辛かったり寂しかったりするひとがよく映っていた。
俺の周りの大切な人が痛むことは俺も痛くて、ただそばにいるだけしか出来ない自分の無力さが嫌で、ケアやサポートに関する知恵や技術を学んでいくうちに、気づけば支援の仕事や人権講演に関わるようになっていた。
大事な人が苦しむ姿を見たくない一心でそういうことに取り組んで、10年ほどが経った。
ようやく少しは人の支えになれそうになってきて、嬉しいと感じた。誇らしかった。
かつての無力感をようやく手放せそうだとホッとした。
伝えた愛や贈った思いやりを受け取ってもらえることに、喜びがあった。
でも時々、俺の身体は動かなくなった。
首や肩が強ばり、過剰な緊張でいつも筋肉痛のようになった。
腰が痛み、胃がもたれて吐き気がし、酷い動悸と不安で夜眠れなくなった。
温かい風呂でマッサージをしても、散歩や筋トレをしても、整体や栄養を見直しても、身体は頑なに緩もうとしない。
今回も、そんな時間を過ごした。
3日ほど前、不眠が1週間弱続いていた俺はほとほと疲れていた。
「もう他に何したら良いねん」と、眠ることを諦めながら布団に横になった時、ふと自分の中から、小さな声が聞こえた。
寂しい。
心細い。不安。痛い。
こわい。助けて。
ふと、気づいた。
動かなくなった俺の身体は、痛み、嘆き、苦しんでいた、俺がケアしてきたひとたちの姿とよく似ていることに。
そう思ったらハッとした。
この身体は、ケアしてきたひとたちのようになることで、「助けてほしい」って、ずっと訴えていたのか。
俺は、助けてもらいたかったのだ。
俺が支えたいと願ったその人たちのように、本当は自分こそが、助けてもらいたかった。慈しんでもらいたかった。
愛することや助けることを通じて受け取るのではなく、子どものように、小さな者のように、ただ愛してもらいたかった。助けてもらいたかった。守ってもらいたかった。安心したかった。
「ただ愛されたい、たとえ俺が何者でなくても」
それは、俺が深く諦め、固く禁じてきた、俺の小さくて切実な言葉だった。
一度それに気づいたら、泡が水面に浮かび上がるみたいに、ぽろぽろと想いが浮かんできた。
俺だって愛してほしい
守ってほしい
助けてほしい
支えてほしい
ハグしてほしい
安心したい
俺だって。
俺だって、愛されたいんだ。
ちなみに年始〜春頃にも「愛されたい、愛に開かれたい」のテーマには取り組んでいたはずで、その時やったよなぁと思ったんだけど。
よーくよく思い返してみたら、始まりは、
「愛してくれる人のことが好きだから、俺が愛を受け取れなくて悲しませたくない、だから受け取れるようになりたい」
って感じだった。
あと、「他者に自分は影響するんだと、自分の影響力を確かめたい」とか、「別れを恐れて出会いを否定したくない」とか。その辺は結構扱った。
でも、『愛されたい、愛に開かれたい』は、実はあんまり扱ってなかったかもしれない。
さらに今回は、前回と明らかにニュアンスが違う。
前は、「愛してくれる人の愛を受け取れなくてがっかりさせたくない、失望されたくないから愛に開かれたい」って感じだったのが、今回は俺が、自発的に、自分のニーズとして、「ただ愛されたい」って望んでいることを感じ取った。
これ言いづらかった。って言うか、絶対言っちゃいけないって思ってた。
すげーこわい。
だって『相手を傷つけないためにしゃーなしですよ』って言い訳効かへんやん。
俺の俺による俺のための純度100%自分のためのニーズ。
なのに、それが叶わなかったら100%がっかりするし傷つくやん。
こっっっっわ。
いろいろぶっちゃけて書くと、なんか色んな声が渦巻いてる。
『「愛されたい」なんて、子どもじゃあるまいし』
『自分のためだけに人に時間やエネルギーを使ってもらうなんて許されない』
『愛されたい、支えられたい、受け取りたいなんて、そんなこと言ってる側から人がバンバン傷ついていくぞ、お前にはそんなヒマも余裕もない』
『女々しいやつめ、お前はやっぱり男らしくない』
『パートナーが欲しいとか、そんな甘えた奴は誰も好きになってくれない』
『求めたところで、どうせ誰もお前のことなんて助けてくれないよ』
…書いてわかった。
これ全部エゴの声やんけ、俺のじゃないぞ。またお前か。
ひとまず、そんな風に求める気持ちが自分の中にあったことに気づいて、なんというか呆然としている。見つけたーやったーとかじゃない。
愕然としてる。感覚として全然分からなすぎて。
これ、かなり深いやつだなぁ…。
今はまだ感覚としてはイマイチわからないけど、ひとまず、気持ちを見つけたことがお祝いやなと思ったので書き残しておきます。
微細だけど偉大な成長を遂げていますね。いいぞいいぞ。
改めて、もう一段深く変わる勇気を、ここから。