靖国神社を汚す者達へ【安全マガジン第3号】
塚地です。
色々と下書き段階では色々と書いていますが、世の中に提示することが出来ていませんでした。
気軽に発信します。
これがどう安全とつながるかは分かりませんが、とにかく書いていきます。
塚地は自称・小坂英二派閥なので、
右翼、保守側の論者であります。
小坂議員の奥様は靖国神社参拝オフを企画したお方とか。
現在、山口采希さんの前の産経新聞モデルが確か奥様だったはず。
前へ前への精神がとてもお強い印象があります(笑)
保守側では戦争で亡くなった方達を『英霊』と呼んでいます。
靖国神社に掲載される彼らの手紙はとても感情を動かされるものがあります。
一方で、一部では「戦争礼賛」と言った発言を見ます。
彼らは靖国神社なんてなくなって欲しいのでしょう。
ここでは靖国神社の是非は書きません。
ある思想からのお話をします。
彼らは若いうちに命を散らしてしまいました。
しかし、だからこそ彼らは尊いと思いませんか?
そして、だからこそ彼らの言葉は胸を打つのではないですか?
戦争から逃げた人で
どれだけ名前を残した人がいるでしょうか?
英霊たちは命は早く失ってしまいました。
しかし、彼らはまだ存在は失っていません。
日本の武士道に残る言葉で「命惜しむな、名こそ惜しめ」というものがあります。
縄文時代の話まで戻ると、生者と死者と交信していた、という話があるそうです。
本当に出来たかは別として
死には2種類あると言われています。
皆さんが良く理解している「肉体の死」と
存在自体が失われてしまう「忘却の死」があります。
私は忘却の死が本当の死だと思っています。
家系図によって、自分の先祖と向き合うことは出来ますが、
おじいちゃんのおじいちゃん
このあたりになってくると、その人がどんな人か?を理解することは不可能ではないかと思っています。
この本当の死を考えると、
命を惜しんだ人はいつかは存在自体が消えてしまう存在です。
しかし、靖国神社の英霊たちは靖国神社が存在する限り「永遠に生き残り続ける」のです。
靖国神社を批判して、もしなくなってしまったら、
実はそれこそが「犬死に」になってしまうのです。
靖国神社批判をする人はむしろこれを狙っているように思います。
ここまでだと安全マガジンにならないので、ここから安全につながる話をします。
おじいちゃんおばあちゃんが孫を可愛がるというのは、実は命がつながっていくのを実感できるのではないか、と塚地は感じます。
また、何か記念碑みたいのを作ろうとする人が老年期に出て、それが大きな過ちを犯す人がいます。
ちょっと違うとは思いますが、タージ・マハルのコンセプトは近いかと思います。
老年期にやることが失われてしまうのが今の日本の問題点ではあります。
高齢社会は高齢期に目標がない
何のために生きているのか?
何のために生きていたのか?
私は今の情報社会において、「忘却の死」をなぜ越えられないのかが分からないですし、
そのことについて話す人がいないというのも疑問に思います。
塚地は人生の最後
「自分の人生を振り返る」「マイストーリー、マイソング」みたいなものを残し、提供することで、忘却の死を免れる事が出来るのではないかと思います。
そのことが人生を最後まで豊かに生きることができる方法
安全に生きることができると思います。
塚地のテーマの一つに「メモリアル事業」を提案します。
皆様の生きるヒントになれば幸いです。