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ぬるい夜の麻酔カモミールティー

腹と腰が痛い。生理ってちょっと頻度が多すぎやしないか、と毎月思う。体が元気な40年ほどのうち、約1/4が生理と思うと正直ぞっとしない。
女性が人生のうちで分泌する女性ホルモンは約ティースプーン一杯分なんだそう。ティースプーン一杯分!なんだそりゃ!ちくしょう!と思いながら湯を沸かす。百入茶色の川辺の窓に湯気はたんたんと流れる。つまらない夜を終電間近の急行が真横に断っていく。そんなことはどうでもいいほど腹が痛い。しゅんしゅんと湯が沸くなり火を消し、ダブルウォールガラスのマグに注ぎ、てきとうな皿で蓋して1分。
よく、カモミールのにおいは青りんごのような香りと表現されるけれど、それにしては日向くさいといつも思う。わたしはカモミールティーは腹が痛いときと気持ちがへしゃげた時にしかおいしいと思わない。しかし、いざそのときになると、お守りのように口にする不思議なお茶だ。
ちなみに、カモミールティーは必ずハムステッドのもの。他のものはにおいがどうしても好きではないのに、これだけは特別だ。ちなみに成城石井などで買えます。

ところで、文中に雑に放り込んだ『百入茶色』は、『ももしおちゃ色』と読み、深い深い紺色を指す和の色の名前だ。昔、高校生のとき、伊勢の着物やで何気なく朱色の文字で書かれた百入茶という一言はわたしの脳の裏のはしにずっと染みついていた。それを今夜はじめて文字に起こして書きだしてみたのだけど、百入茶色ってなんだか日向くさい響きだから、なんだか紺色というより、カモミールティーみたいな色のほうが似あうのに、とか漠然と思う。

南からの湿った風が、雨雲を運ぶから、湿度が高く、ぜんぜん寒くない。ベランダに出ると、つーん、と水のにおいがする。今は暗い水のにおいは嗅ぎたくなくて、手の中のマグを慌ててすすった。電車はもうだいぶ走ってこない。もう終電が終わってしまったのかもしれない。街灯はともっているけれど、家々の灯りはひどくまばらだ。川の水と夜とベランダの境目があいまいで、頭がぼーっとしてくる。生理の時は体とそれ以外の境界線もあいまいだ。血と一緒に自分のなかの弱いどろどろしたものが流れ出てしまう。それは気とかイメージとかそういうたぐいの、大切だけど説明がつかないものだ。十数年前の記憶の中から百入茶色という染みを抜きだしてくる、その意図とは?思考はどんどん分裂してベランダからずるずるとはみ出す。腹と腰の痛みがぶっとんでいく頭をただただここについないでいる……。

ごーーーーーっ!と左耳から右耳へ、本当の終電が通過して、妄想はおしまい。せっかくの日向のお茶はてのひらのなかで色はそのままにすっかり冷めてしまった。

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