わたしがダメなんじゃなくて、みんながすごいんだ、と思うようになったら生きやすくなった
20代前半で、体と心がとても疲れて、仕事をやめた。
その時期はいうなれば、人生の羅針盤がくるっていて、ずっと同じ場所で右往左往している小舟みたいだった。入院して病気は治ったのに、心はいつまでも、鼻や口元が水面あたりにあるようで、ときどき必死にぷはっと息をしているようで、とても苦しかった。饐えた布団から見上げる、安い木造アパートの天井は低く湿っぽく、木目がいやらしかった。でもそれ以外見るものがないので、シーツにしわを作って数えて耐えたような1年だった。
そういう期間がある・あったという人は、意外と多いのではないかと思う。そしてそこから立ち直れたり、まだ立ち直れなくて苦しんでいる人もたくさんいるだろう。
立ち直りのきっかけというのは、いろいろあると思う。「いっぱい休息して、自然に」という人もいれば、「病院の薬が効いて」という人もいるだろうし、「誰かの支えがあって」という人もいるだろう。
わたしの場合はもっと情けないというか、悲惨と言うか……こんなことを言うのも憚られるのだけど、失禁したのである。しかも布団で。
おねしょではない、起きていたけど、起き上がれなかった結果、そうなってしまった。しかも、そこから立ち上がれるまでに数時間かかったし、下着とズボンとシーツを洗うまでに半日以上かかった。ふとんは持ち上げられなかったからなんでも屋さんみたいな人になんとか電話をかけ、捨ててもらって新しいふとんと交換してもらった。
しかし、20代前半の失禁体験はわたしの人生でかなりショックなことだった。自分に何が起こっているのかわからないまでも、このままでは絶対にヤバいと思った。
できることが本当に少ないので、とりあえず手元にあるガラケーでなんとか近所の整体院みたいなところを見つけ、電話をかけた。家から出れなくて、というと、ご厚意で家まで来てくれるという。
ドアを開けたら、にこにこ顔で、ふっくらした顔のおかあさんの偶像みたいな人が立っていた。院長さんが気を回して女性をよこしてくれたのだろう。
その人の手があまりにやわらかくて温かいので、わたしはついつい、いろんなことを話した。内容はとてもネガティブだったと思うけれど、その人は高野豆腐みたいに全部すぅっと聞いてくれている感じがした。「わたしはがんばれなかったんです、みんながんばってるのに、わたしはだめなんです」と泣き言をつい言ってしまう。
「だめじゃないよぉ、こんな体ガチガチで、内臓も元気がなくて、よくがんばったよぉ。あなたはだめじゃない。同じ環境でがんばれてるひとは、すごいけど、頑丈なひととそうでないひとがいる。そうでないあなたみたいなタイプには、あなたにしはかできないことがあるよ」
その言葉は、とても新鮮だった。
わたしはずっと周囲ができることをできない自分が劣っていて、周囲のひとはふつうだと思って生きてきたけど、そうじゃなかったのかも。わたしのまわりのあのひともこのひとも、とてもすごく強くて、すばらしいひとだったのだ。
わたしは今現在、すばらしくはないかもしれないけれど、わたしはわたしでふつうで、ニュートラルで、あたりまえでいいのかもしれない、と思えた。
それからもやっぱり、自己嫌悪は常について回った。そのたびに落ち込んで、もうだめだー、と思ったりもした。でも、その直後に、そうは思えなくても「わたしはだめじゃない、みんながすばらしすぎるだけなのだ!」と思い込むようにつとめた。
ずっと続けているとそれは少しずつ事実になる。
その考え方に慣れて、わたしはだいぶ、たしかに生きやすくなったのである。
以前よりも、素直に、いろんなひとのがんばりが見えるようになった気がする。
毎日、淡々と仕事に行けること。
毎朝、決まった時間に起きること。
食事をちゃんと食べること。
などなどできて当然だと思っていたことが意外と難しく、そしてそれを何年も何十年も続けていくことの営みの美しさみたいなものに気づいた。
少し高いビルから、街を見下ろしたときや、大きな団地の横をとおるときなど、そこにぎゅっと詰まった人生の数とか、時間の長さに、胸がぎゅーっとなる。
この街や、わたしの世界は素晴らしい継続するひとの努力と忍耐でできている。
今日もわたしは特別なにができるわけでもなく、最低限の仕事をし、すこしジャンクなものを食べ、夜更かしして寝る。
でもどんなわたしもぜんぜんだめではない。(いや、ぜんぜんあかんのやけども)
12/23、街はとてもきらびやかだ。
家族連れ、カップル、友達どうし、でもきっと、どこかで自己嫌悪の波にあぷあぷしながら、横たわっているひともいる。平気な顔して、ぜんぜん平気でないひともいる。
傷ついているひとや疲れたひとに、あなたはぜんぜん、だめじゃないんだよぉー!と伝えたいクリスマスイブだ。
メリークリスマス!!