リズム、メロディー、なき音楽(2022.05.28)
音楽の三要素とは、という問いがある。クイズとしては頻出の問いで、ベタ問、に数えられるらしい。答えは、(1)リズム、(2)メロディー、(3)ハーモニー。
その一連の流れを聞いたとき、なるほどな、と思った。たとえ独唱であっても、その音の連続のなかにハーモニーはある。
その定義をあてはめれば、それは音楽ではなかった。そこにはリズムもメロディーもなく、かろうじて、ハーモニーがあった。それも和音という言葉より広い定義を必要とするハーモニーだった。
にもかかわらず、それは音楽であった。
神楽坂でライブを見てきた。
きっかけは、その前週に開催されたとあるオタク・イベントにDJブースがあったと聞いたことだった。BGM代わりにDJがいて、踊っている人もいたらしい。
いいなー、であった。でかい音で好きな曲聴いて揺れてえなと思った。ったらクラブであろう。さりとてなんかこう、ギラギラとした若者たちに取り巻かれるとアウェー感がすごいしで、検索して、ここに行き当たった。
"ガチ"のやつじゃん……と声が出た。オタク・ソングとspotifyのworld top 100以外に音楽との接点を持っていないから、この方々のことは寡聞にして存じ上げないが、プロフィールを見ればガチの音楽が聴けそうだなということはわかる。わたしは一路神楽坂へ向かった。この時点で「でかい音で好きな曲聴いて揺れてえな」という欲求はどこかへぶん投げられ、代わりに「知的刺激を浴びせてくれ」が鎮座していた。
飯田橋駅から神楽坂をひたすら登り、不動産屋とココカラファインのある暗い交差点も通り過ぎ、さしもの神楽坂も平らになった頃、左手にその場所はあった。
地下一階のドアを開ける。するとすぐにバーカウンターがあり、人々が立ったまま談笑していた。ステージとバーカウンターは別の部屋にあり、しゃべりたい人はバーカウンターでね、という作りのようだ。コンサートホールみたいで、非常に好感の持てるデザインである。ミュージックチャージ的に二千円を支払ってビールを頼む。お酒のラインナップがけっこういい。好感がストップ高となった。
壁に背中をつけてパンクIPAを飲む。不思議と居心地のいいところだった。オタクが一人まぎれこんでも、なんか別にいい感じ。
ステージのある部屋へ入って音楽を聴く。演奏は終わりかけで、ほどなく次のステージの準備が始まった。知らん楽器がステージの上へばらばらと並べられていった。
知らん楽器の内訳としては、MacBook、15本くらいありそうな弦を弓で弾くようわからん楽器、カリンバみたいなやつ、緑や透明のゴムボールに串を刺したように見えるやつを含む種々のスティック。おもちゃみたいだ。それから、スティールパンで作った植木鉢みたいな太鼓、わたしの語彙ではなんとも言い難い機械、でっかい銅鑼、他わけのわからんのものたち、である。地面に直置きの楽器を、床へ座った奏者が演奏するようだ。宗教音楽っぽいのかな、と思う。ガムランとか、そういう種類の。
やがてバーカウンターのある方からばらばらと人が入ってきた。コンサートホールのような作りとは、観客の興味のあるなしが、観客数によって可視化されてしまうデザインなのだ。観客には親切だが、奏者にとってはしんどい場所かもしれないなと思った。
演奏が始まる。ステージと観客の距離はわずかしかない。段差もほんのすこしだ。小劇場で演劇を見るような気がした。
演奏が始まる。知らん楽器に弦が当たると、楽器の音なんだか、MacBook製の音なんだかわからないような音色がある。音階らしい音階はほんのすこしだけで、冷やし中華の辛子くらいにしか与えてもらえない。拍子、と言えるようなリズムはないし、その流れでいけば当然ながら、歌えるようなメロディもない。サウンドエフェクトだけで作ったBGMのようにも聞こえる。
さきほど感じた居心地のよさに説明がついた気がした。こういう音楽を好んで聞きにくる人々は、たぶん広義のオタクだろう。
Q. 音楽の三要素とは?
A. リズム、メロディー、ハーモニー。
聴いていると、そのフレーズが頭に浮かんだ。この定義をあてはめれば、それは音楽ではなかった。そこにはリズムもメロディーもなく、かろうじて、ハーモニーが聞こえた。それも、せせらぎや、噴水のしぶきや、強い雨が金属製の手すりを叩くことのなかにも聞き取れる類のハーモニーであった。それがじわじわと変化しながら手を替え品を替え浴びせられる。面白い。予測がつかなくて、心地いい。
目をつぶる。宇宙。宇宙船。ひとりの人間。手塚治虫的な物語が想起される。近未来的なサウンドだが、紙とインクの手触りがある。精密に配置された幾本ものマイクが拾う音は、しかし身体的な演奏で作られており、そこからこんな連想が湧くのだろう。
ステージの床をスティックで、手で、足で叩く。スティックを床へ落とし、はねかえりながら静止するまでを聴く。回転するコインが静止するまでのあらゆる音。完全なコントロールを前提としないものが演奏に組み込まれている。奏者の顎先から汗がしたたるのが見える。こんな天才でどうやって生きてんのかな、と途方にくれた気分になる。
銅鑼へ向かっていた奏者がふとスティックをくわえたまま振り返り、このスピーカーの音を下げて、というような鋭いそぶりをした。この人には作りたい音楽のかたちが明確に見えているのだ。そのことが明確に伝わる、鬼気迫るそぶりであった。
そのとき、この音楽を音楽たらしめている、リズムでもメロディーでも、ましてハーモニーでもないものがパッと頭のなかに浮かんだ。意図と観客だ。リズムやメロディーやハーモニーは、前提的に意図と観客に抱え込まれていたのだ。音楽の三要素は、音階を前提とした一種の共通言語であって、その前段には、あまりにも当然に、演者の意図と、それを鑑賞する人間がいたのだ。
演奏が終わると、小さな客席が拍手で満ちた。わたしもバチバチと拍手をした。誰かが足でステージを鳴らす真似をした。隣に立っていた人が、「テキーラ飲みませんか」というセリフでナンパされていった。
ステージの上では楽器の回収が始まった。黒いステージの上、木製の花瓶のような容器に、さきほど大立ち回りを演じた種々のスティックがまとめて差し込まれていた。黒や緑や透明な頭を持つスティックたちが、まるで生け花みたいに美しくおさまっていた。