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2011年のラオス ① ジャール平原
気がつけばひと昔前になってしまったラオスの旅話シリーズ。
今回は2011年にラオスのジャール平原からルアンパバーンを経てメコン川をボートで遡った1人旅の記録を綴ってみようと思います。
ジャール平原ってどこ?
ジャール平原があるのはラオスの中部シェンクワン県のポーンサワン郡というところ。
私がジャール平原に興味を持ったのは2007年、初めてラオスのビエンチャンを訪れた時、たまたま入った食堂に貼られていたポスターを見たのがきっかけでした。
そのポスターには、だだっ広い草むらに大きな石ツボがゴロンと転がっていて、何だこれは?と目についたのでした。
ガイドブックで調べてわかったジャール平原。
シェンクワンという町から離れた場所にあり、石壺はいくつかのエリアに別れているようでした。
そして、実際にたどり着くにはなかなか大変な場所のようで、いつか行ってみたいと長年思い続けていたのでした。
ビエンチャンからシェンクワンへ
そのジャール平原に行くと決めた2011年11月。
私はバンコクからビエンチャンに向かいました。
ビエンチャンからジャール平原があるシェンクワンまでは陸路では難航するという情報もあり、ラオス航空で飛ぶことにしたのでした。
ビエンチャンのワッタイ国際空港の国内線ターミナルは、地方のバスターミナルのような寂れた感じでした。
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今はもう少しちゃんとしてると思いますが、当時の発着案内はアナログな掲示板で、私が搭乗するシェンクワン行きのフライトは、13時30分とあるのが確認できますが、その後は16時30分のルアンパパーン行きのフライトのみで、ローカル線の時刻表のような数少ないフライトのみでした。
シェンクワンからポーンサワンのお祭り
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シェンクワンの空港は思った通りローカルな雰囲気でした。
飛行機から歩いて駅舎のようなターミナルへ向かいます。
シェンクワンから更に移動してポーンサワンという町へ向かいます。
移動は乗り合いバスかトゥクトゥクだったと思いますが、記憶が定かではありません。
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私がポーンサワンを訪れたこの日、ちょうどお祭りの日だったようで、観覧車を中心に出店がたくさん出ていてとても賑わっていました。
私は地球の歩き方で目星を付けていたゲストハウスにチェックインして早速お祭りの様子を見に出かけました。
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静かな田舎町に突如現れた遊園地に、大勢の子どもたちが楽しそうに遊んでいました。
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中には民族衣装を着た女の子たちもいて、とても華やかでした。
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そんなお祭りに偶然出くわした私も十分に楽しませてもらいました。
ポーンサワンの町歩き
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祭りの会場を後にしてポーンサワンの町歩き。
ガイドブックの地図の通り、国道を中心に広がる小さな町でした。
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ラオスの田舎らしい静かな町ですが、ベトナム戦争の傷跡が残されていました。
今も米軍がばらまいた不発弾が残っているラオス。
ベトナム戦争当時、ラオス国内もラオス独立後の政治主導権を巡って政府とラオス愛国戦線(パテト・ラオ)との紛争の最中でした。
共産主義勢力のパテト・ラオに対して、アメリカが支援する南ベトナムと対立する北ベトナムは同じ共産主義のパテト・ラオを支援していたため、米軍はパテト・ラオ直接的に攻撃は出来ないかわりに多数の爆弾を投下して多くの被害と混乱を及ぼしたのでした。
朝のポーンサワンとガイド君
ゲストハウスのオーナーに、ジャール平原へ行く方法を相談すると、車をチャーターできるとのこと。
運転手はガイドも兼ねているので安心だよ、との言葉で私はオーナーに任せることにしました。
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翌朝、早く目が覚めた私はゲストハウスの前を行き交う托鉢のお坊さんたちを見ながら佇んでいました。
タイで見慣れた朝の托鉢ですが、ラオスも同じく托鉢は日常の行いなのですね。
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ゲストハウスで朝食にラオスのサンドイッチ「カオチー」を食べていると、ガイド兼運転手がやってきました。
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運転手兼ガイド君は若い兄ぃちゃんで、名前は失念しましたが、ちょっと調子が良さそうな軽い感じの第一印象でした。
英語で話しかけてくれたのですが、どうにも私には彼の英語が聞き取れません。
「あななの英語がわからないのでタイ語で話してくれる?」
「え!タイ語が話せるのですか?なら私もタイ語のほうが英語より良いです」
ということで、それからの道中は、ガイド君のタイ語での解説を聞きながらジャール平原へ向かったのでした。
ジャール平原
2,000もの石壺が3つのサイトに別れて点在しているというジャール平原。
まずはサイト1と呼ばれるエリアへ案内されました。
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朝靄のなかにひっそりと佇む石壺。
数え切れないほどの石壺が無造作に転がっていました。
その目的や用途は諸説あるのですが、誰がなんのためにこのような石壺を作り、この場所に置いたのかミステリアスな話ですね。
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ガイド君の案内でサイト2へ移動。
畑の中を移動しますが、ガイド君がいなければとてもじゃないけど行けないルートです。
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中には割れてしまった石壺もありました。
人が中に入れくるらいの大きさで、棺のような役目だったのかもしれません。
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突然放置された戦車がありました。
ベトナム戦争当時のまま放置されているらしいです。
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サイト3へ移動しました。
ホントにこの日は石壺ばっかり見ていました。
写真も石壺だらけで絵変わりがしないのですが、ホントに石壺しかありません。
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苔むした石壺の表面にはノミで削ったような跡がありました。
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ムアンクーン遺跡
ガイド君の周遊ルートに従って、ジャール平原を見て回ったのですが、最後はムアンクーン遺跡の見学という流れになりました。
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廃墟になった寺院に佇む大仏と仏塔が静かに佇んでいるその姿は、大昔から現在までその村にある当たり前の景色として溶け込んでいて、私も静かに手を合わせたのでした。
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ジャール平原の石壺は想像した以上に広い範囲に渡って点在していて、私が思い描いていた想像を超えた存在感のあるものでした。
ポーンサワンのゲストハウスに戻った私は、その夜なんだか気持ちが高ぶって、なかなか寝付けませんでした。
この旅はこのジャール平原が主な目的だったのですが、ラオスを巡る旅はまだ始まったばかり。
ルアンパパーンへ向かいます・・・・