『三度の飯よりご飯が好き』と言っていた友達は今、何しているだろう?(赤松新)
『拝啓 神田匠様』 前編(出会い~小学校卒業)
今回はこの場を借りて、上記タイトル「俺は、三度の飯よりご飯が好きなんだ」と、得意げに言ってきた友人・神田匠に感謝と謝罪をしたいと思っております。
こう書き出すと、神田くんが死んだのかな?と思われるかもですが、死んでないと思います。全然、会えてないだけで。
出会いは保育園の頃。
すみれ保育園で一緒に遊び、一緒にお昼寝して、一緒に『ゴリ』という、直球過ぎるくらい直球のアダ名を持つ、有田君をからかっていた匠。
肘の外側?になるのか、こう少しシワになっているところが、人よりシワが多かった匠。それを見て、何故かそんな事で腹抱えるほど笑ってゴメンな。
小学校に上がった日。
同じクラスになって、嬉しかったなぁ。
一緒に「怒ると眉毛を抜く癖」を持つ貝沼に、なんとかして眉毛を抜かせるか遊んだりしたり。クラス内で年賀状を作って送りましょうという催しに、匠は「新とは幼稚園からの友達!」って書いてくれたのに、照れくさかったのか「違うよ。幼稚園じゃなくて保育園だよ」と訂正した俺を許してくれ。
ちなみに、貝沼は小学2年生の頃に、隣の市に転校してったけど、俺の行った高校がそっちの方で、その頃の同級生に聞いたら、貝沼が同じ小学校だったていう奴がいたぞ。相変わらず怒ると眉毛抜いていたって。
そう言えば、給食の時間に急にゲロ吐いて、泣いてるのに変に笑っちゃってゴメンな。いま思うと、ゲロ吐いてから泣くまでのスピードが異常に早かったんだと思う。ゲロが出る瞬間には、もう泣いてないとあのスピードは出せないよ。
それが小学1年生ながら、違和感があり笑ったんだと思う。ほんと、ごめん。
匠の家が雑貨屋をやっていて、「うちでアイス食べようぜ」と言って遊びに行った時、家の裏手で「ちょっとここで待ってて」と匠が家に入って行き、しばらくしたら、すごいゼーゼー言いながら「は、早く……これ、隠して」とアイスを差し出し、店の方から「誰だ!!アイス持ってたのっ!」と怒鳴り声が聞こえて逃げってたよね。今でもあの時の「ブラックチョコアイスバー」が人生で一番美味しいアイスです。本当にありがとう。
あと、頭が大きい山崎むつみ、通称・むっちゃんともよく一緒に遊んだな。
うちの学年には、頭が大きいのが「水沢とおる、通称・みとおる」と「むっちゃん」の、文字通り二大巨頭がいて、上級生に「デカメロン伝説」って少年隊の曲でイジられてたな。みとおるもむつみもよく耐えてたよな。子供は残酷だ。
そのむっちゃんと匠は、俺に「ジョジョの奇妙な冒険」の面白さを教えてくれた人。ジャンプで始まった時に、二人とも狂喜してたよな。
「今までの漫画と違う!」って。
好きすぎて、ジョジョの1巻が出た時に匠とむっちゃんは丸ごと暗記して、俺に披露してた。そんなに勉強が出来るタイプでもないのに、もの凄い記憶力だと、本当に感心してました。そして、俺は今でもジョジョが大好きです。匠もそうなら嬉しいな。
その頃に、匠は同じ市内に引っ越したけど、建売住宅の家が用水路のすぐ真上だったから、暖かくなるともの凄い量の蚊が壁一面にいたな。アレはたまに夢に出てくるくらい衝撃的でした。
小学5年生になると、違うクラスになったし、俺は野球部に入ったから前ほど一緒にいれなかったけど、それでもよく休みの日には遊んだりしてたな。
市内には小学校が2つあって、俺達は「葛塚東小学校」、もう一つが「葛塚小学校」。俺達的には、この葛塚小学校の方が色々進んでいると思ってて。
ある時、匠が「葛小の奴らすごいぞ。あいつら『セックス』の事を『エス・イー・エックス』って英語で言うんだってよ!」と報告してきたよな。
俺もよく分からないから、「マジで!?すげえな!」って驚いたけど、今でも思い出し笑いしちゃうわ。二人共バカすぎるよな。でもあの時は、本当にすごいって思ったから。少しだけ大人の世界を教えてくれた匠。
同じ学年の榎本とも一緒に遊んだけど、この榎本も変わってる奴だったから、二人でなかなか笑わして貰ったよな。
何故かカエルがめちゃくちゃ嫌いな榎本。アマガエル見ただけで「うわ~!」と悲鳴に近い声を上げる。カエルの鳴き真似するだけでも、怒り狂ってた榎本。
そんな榎本に、とびっきり大きい「ガマガエル」を見せたらどうなるんだ?みたいな話が持ち上がってた。俺達は友達だったから、それはさすがにやめようって言ったけど、やっぱり子供は残酷。一部の子供達が計画して、榎本にめちゃくちゃ大きいガマガエル見せてたよな。
後から聞いたら、見る前はめちゃくちゃ騒いでたけど、いざ見たら悲鳴がピタっと止んで、榎本を見たら鼻血出してたって。
今だったら本当に問題なるけど、その時は申し訳ないが笑っちゃった。
しかもその榎本が高校生になったら、「あいつ『ど根性ガエル』のTシャツ着てたぞ!」って報告してくれたのは匠だったな。二人で不思議がったもんだ。
小学6年生のある日、登校したら匠のクラスに、やけにデカい「う○こ」があったよな。大きさなどからこれは大人のものだって結論づけて、ただ身体が大きいからっていう薄すぎる根拠で、犯人は担任の佐田先生だって決めつけてたよな。匠も面白がって言ってたら、それが先生の耳の入って、死ぬほど怒られてたな。すまんが、アレも笑わしてもらったよ。ありがとう。
隣のイケてると噂の葛塚小学校の運動会に、俺と匠とむっちゃんとで行ってさ、その時、校内に忍び込んで「がんばれ!」とか「葛塚小学校」とかが窓に一文字づつ貼られているのを、窓を動かして入れ替えてたら、その葛小の奴らに追いかけ回されて、殴られたな。あれは今でもトラウマ級に怖かった。
次の年に、葛塚東も葛小も同じ中学に上がった時には笑い話だったけど、マジで「もう終わった……」って思ってたのに、解放された時に匠もむっちゃんも笑ってたな。ほんとすげぇよ。
他にも、やけにフケがすごかった渡辺友行の買ったラジコン「ホーネット」の色塗りを手伝った時、パッケージ通りの色がないからって、違う色を塗って仕上がりが変な感じになってたな。すごい嫌そうな顔してたぞ。そのせいで、あんまり遊んでくれなくなったんだからな。
あと、「うちのお父さんはスモールライトを作った」って、今なら0.2秒で嘘と分かる嘘をついてたもっちゃん。匠はそのもっちゃんに「じゃあスモールライト持ってきて」と詰め寄ってたな。もっちゃんも「まだ実験段階で人体に使うと爆発する」って、嘘に嘘の上塗りしてたけど。結局、スモールライト見せてもらえなかったのは、本当に心残りだよ。
キン消しでもよく遊んだな。匠は手先が器用だから、普通のキン消しを切ったり貼ったりで、オリジナルの超人作ったり、キン肉バスターとかキン肉ドライバーを色々な超人がやってるやつ作ったり。しかも丁寧に作り込んでて、今思うと、匠はそこらへんの技術とか大したもんだったんだな。プラモ作りも上手かったし。
でも、飽きてきたのか、ナチグロンのお腹にキン肉マンの顔を貼り付けたり、そもそも他のおもちゃにキン消しを付け始めて、俺達のブームは終わったんだと思う。
そう言えば、俺の家で飼ってた猫が、匠の家の鶏を食い殺したって騒いでたけど、それ濡れ衣だから。
鶏を咥えて黒猫が走っていったってだけで、うちの猫を疑ってたけど、俺の家と匠の家は結構離れてるから。その距離を家猫が移動するとは思えないし。でも、それを匠が言いふらしていたからか知らないけど、うちの親から「あの子と遊ぶのやめなさい」って言われたぞ。もちろん俺は「そんな事を言うな!」って強く反発したし、そう言われたことも匠にはずっと黙ってたし。
逆に匠の家の方では俺は大歓迎されたけど。当時は成績も良くて行儀もよかったからな、俺。大人に好かれる子供の典型だったから。匠の親に「ずっと仲良くしてあげてね」って何度か言われたぞ。まぁそんなことを言われなくても、ずっと仲良かったけど。
児童館でソフトボール使って野球してたら、俺が打ったボールが児童館職員の顔面に当たったのを「ホームラン!」って騒いでたから、児童館を正式に出禁になったり、知らない人の家の前で「ハイリハイリフレハイリホー、ハリハリフレホッホー!大きくなれよ~」と当時の丸大ハンバーグの歌を大声で何度も歌って、「うるさい!」って怒られたら逃げ出して、また少ししたら戻って歌って逃げ出すというのをひたすら繰り返したり、「超能力クラブ」を作って、日がな一日、箱の中に何か入れて透視して当てるってことを繰り返したり、空き缶を集めてる「ぶいちさん」って呼ばれてるおじいさん、今でいう住所不定の人の後をずっと付けたり……本当にろくでもない事ばかりしてたけど、楽しかったな。
そして、3~4年前までは県内でもトップに入るくらい荒れてた中学に入るんだよな。田舎だから選択肢がそこしかないから。
でも、そんな中学、そして高校でも……。
後編へ続く。
赤松新(吉本興業所属)
ルミネtheよしもと出演中
ドラマ「初めて恋をした日に読む話」泉譲役で出演。
第29回ヤングシナリオ大賞・佳作受賞
世にも奇妙な物語
「幽霊社員」脚本 「あしたのあたし」原案 「鍋蓋」脚本
「映画・生理ちゃん」脚本
「ランチ合コン探偵」第5話、第7話脚本