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母親との関係〜その1

私は、子どもの頃に親から刷り込まれた
ことに苦しんで来ました。

でも、自分が親になって気づいたことが
たくさんありました。

時代の影響だろうとか
親も未熟だったからとか
情報不足だったとか

40年前と今はずいぶん違います。

社会情勢も
教育も
社会の当たり前も…。

今のアラフォー世代は特に
時代に変化に翻弄されて来たところがあるのではないか?と妹と今回のお正月語りました。

母親は、本当は仕事がしたかったのに
義父母によってそれが奪われました。
そのことを子どもの時からずっと文句を言っていました。

本当は働きたかったと。

おじいちゃんがこの家に来たからには
お金の苦労はさせないから
働かないでくれ!と言ったそうです。

おじいちゃんは貧しい家で育ったので
母親が働いていました。
また父親が病気で働けなくて母親が苦労していたということもあり、専業主婦以外になるな、子どものために家にいてやってくれと言ったのです。

ちなみにおじいちゃんは大正生まれでした。
それが幸せな家族だと価値観を押し付けていました。

お母さんは義父母との生活が地獄で牢獄のようだと言いました。しかし、義父母の言いなりになって、自分の行動を変えませんでした。

そして子どもに文句を言うお母さんでした。

私はひたすらお母さんの聞き役でした。
こんな居心地の悪い環境で、目に見えない紐で縛られるように、お母さんは私に追い打ちをかけてきました。

お母さんの言うことを聞いてよ。
お母さんが悪いって言いたいんでしょ。
お母さんはこんな家にいたくない。
お母さんが我慢すれば良い話なんだから。
お母さんなんかどうなっても良いと思ってる。

私は長女でした。
子どもの育て方もわからないし
今のようにネットもありません。

私のイヤイヤ期の時のトラウマをずっと言い続けていました。

あんたはお母さんのこと嫌いって言って
めちゃくちゃ傷つけた。
お母さんのこと苦しめたかったんか!
癇癪さえ起こさなかったら良い子なのに!
言うこと聞かない悪い子だ!
よその子になりなさい!

私はずっとお母さんに悪いことをしてしまったと自分を責めていました。
お母さんに喜んでもらえるように、いっぱい嘘もつきました。
本当の自分を認めてほしかったのに。

私は家族で不要な人間
愛されない人間だと思い込んでいました。

こんな私が親になった時
子どもを愛せると思いますか?

私は自分のことをダメな母親だと思い
子どもを愛する心の余裕は
全くありませんでした。

今までいろいろな自分と向き合ってきましたが
簡単ではありませんでした。

自分で自分を愛さない限り
この負の連鎖は断ち切れないと気づきました。

自分のことを育て直せたら
一石二鳥だと思うようになりました。

これはビジネスを学ぶようになってからです。
ビジネスで成幸しようとすると
考え方を変える必要があるからです。

その中で私は考え方を変えていくことに
決めました。

昭和の考えを手放す
自分の当たり前を変える
お母さんと自分を別に考える
今は令和の時代だと言い聞かせる

子育ては世代を越えて引き継がれます。
でも変えることはできます。

お母さんは自分の考えを押し付けてきました。
そうするしか生きる道はなかったんです。

実家にも帰れない
牢獄の中で
唯一の理解者は子どもだけだったのです。

私と妹は家族を軽視するようになりました。
向き合えば傷つくだけだから。
でも自分の子どもがいたら、向き合わざるを得ない状況に追い込まれました。

妹は結婚したいとは思わない。
家庭を持ちたくないと言っています。

でもこれも思い込みだったんです。
自分が決めた枠であり既成概念です。
いくらでも手放せるのに、牢獄にいるままを
選んでいるのは自分なんです。

家族というのは、無意識の思い込みがたくさんあります。
お正月で実家に帰った時、いろいろ気づかされました。

お母さんも妹もまだ牢獄の中にいるんだな。
鍵は空いてるのに出ようとしないんだな。

変わりたいと言ってても
変わるための行動を諦めていました。

私は諦めたくないです。
私は自由を目指して、自分で決める生き方をしていきます。

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