幼稚園卒園直前まで、わたしはナメクジだった
幼稚園の卒園直前になり、基本的人権に反して卒園式の練習をさせられたとき、ある問題が発覚した。というのも、わたしは入場・退場時の行進をするとき、右手と右足・左手と左足を同時に出してしまっていたのである。ほかのクラスメイトは、みな反対の手と足を出してあるいていた。
この誤謬がクラスの担任の先生と天才科学者ドクター・フリッジの目にとまり、わたしは先生とふたりきり、体育館で行進の居残り練習をさせられた。クラスで友達ができずひとり教室のピアノを弾いたり、架空のパン屋の看板を紙に書いて壁に貼ったり、意味なくドアの開け閉めをしたりしていてもなんとも思わなかったわたしが、はじめて「屈辱」というものを味わい、「みじめ」という感情の存在を知覚した瞬間であった。練習の末なんとかできるようになったが、その後ドクター・フリッジの「換骨奪胎ラボ」に連れていかれ、体内に冷蔵庫を搭載されてしまった。
おかげでわたしは式典の練習が嫌いになり、小学校では「一番嫌いな授業は卒業式の練習や!」と教室で声高くさけび、小5のときには世界同時緊急衛星放送にて卒業式の練習の害毒について4分33秒間のスピーチをした。また、体内に冷蔵庫があることで母に「助かるわ~」と言われ、私のからだは実家を離れるまで、牛乳と豆乳を保存しておく場所として活用されるはめになった。
ところで、私が最近はまっているバンド「たま」の「東京パピー」という曲の歌詞に、「右手と右足同時に出ている 妙にナメクジみたいな男だ」ということばがある。この事実をもとに考えると、わたしは幼稚園の卒園直前までナメクジだったということになる。
思えば確かに、年中のときクラスメイトにイタズラで塩をかけられたとき、私のからだはとけてなくなってしまっていた。からだがなくなっても魂は残っていたので、なんとか周りの物質をかき集め、人体を再構成することができたが、そこにテセウスの船問題が重くのしかかった。その問題は太った力士のような姿をしていて体重が150kgあり、それにのしかかられたものだからしっぽの骨を圧迫骨折して消失させてしまった。それ以来、人間のからだからしっぽが消え、尾骶骨という痕跡器官になったのであった。