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ルシア・ベルリン 再発見された手引書


作品について

私小説的な読み

 家に変えると荷物が届いていた。包みはルシア・ベルリンの三冊目の邦訳書で、私は甘いミルクコーヒーを啜りながら、一晩かけてそれを読んだ。
 彼女の最初の邦訳が出たのは、2019年のことで、それはその年の個人的なベストブックになった。『掃除婦のための手引書』の表題作は、今の世にまさにぴったりだと思われた。魂をやすりがけするような労働。バスを乗り継ぎ、金持ちの家に行き、キッチンのタイルや床や磨き、おばあさんの小言を躱し、戸棚から瓶入りの胡麻を盗み、またバスを乗り継ぎ、小銭数え、死を思う。その逼塞した日々を、自分自身の人生と重ねてしまう。
 どうしても、共感を軸にした私小説的な読み方をしてしまう。私自身がコインランドリーで延々と回る洗濯物を眺めているような気になってしまう。

短編のスタイル

 『掃除婦のための手引書』を中程まで読んで、レイモンド・カーヴァーと似ているなと感じ始めた。核心にあるものはカーヴァーとは違うのだが、スタイルは近い。飾らない平易な言葉で、装飾には抑制が効き、鋭く切り取られた短いシークエンスや一瞬が、剃刀の刃のように、読み手の心臓に食い込む。
 訳者あとがきを読むと、事態は逆だったらしい。すなわち、カーヴァーが先ではなく、ベルリンが先で、カーヴァーが影響を受けている。リディア・デイヴィスもこの系譜らしい。
 このミニマルなスタイルの短編小説を読んだときにしか感じられない、独特の身体感覚というものがあって、骨盤から背中にかけてぞわっとするような、それと同時に胸にアイスピックを突き立てられるような、そんな感じがする。

お嬢様と掃除婦と

 ベルリンの人生は浮き沈みが激しい。鉱山技師の父の都合で街々を転々とし、ガラの悪い子どもたちと遊ぶようなこともあった幼少期、一転して上流階級のお嬢様になるチリでの青春時時代、ミュージシャンたちとの恋、結婚と離婚、出産、子育てと労働、アメリカ暮らしの頃。晩年はサン・フランシスやコロラドや、いろいろな場所で創作を教えていたらしい。
 ほとんどの短編にはベルリンの生の経験が組み込まれているのだが、一生のうちの短いシークエンスがシャッフルされて、次々に提示されると、めまいがするように感じられる。スーパーダーリン的なおじさまに饗されるお嬢様と、払暁時にリカーショップを探すアル中は同一人物なのだ。一編ごとに情景が入れ替わる。軍人が行き交う鉄道駅、楽園のような南国の浜、タール紙のバラック、とうもろこし畑、バーとピアノ、製錬所の油煙、そしてバス停。

翻訳者のヴォイス

 ふと自分の本棚を見ると、ベルリンの横にいるにはカーヴァーで、さらに横にはサリンジャーコーナーとフィッツジェラルドコーナーがある。結構な割合が村上春樹訳と、柴田元幸訳である。村上春樹が訳すとやっぱりすごく村上春樹の文章になるし、柴田元幸訳もなんだかんだで柴田元幸のヴォイスだなぁと思う。翻訳者のヴォイスが色濃く出ることは悪いとは思わないし―― "訳" を主題にした円城塔訳『怪談』もある――けれど、生田耕作の「呪われたセリーヌ」とか、中川五郎でしかないブコウスキーとか、手放しに肯定できないものもある。
 岸本佐知子訳の崩した表現、口語的表現、ときにやわらかでときに鋭い文体は、とってもいいねと私は思う。残りの邦訳も楽しみに待っている。

書籍のリスト

掃除婦のための手引書 : ルシア・ベルリン作品集
岸本佐知子訳, 講談社, 2019

すべての月、すべての年 ――ルシア・ベルリン作品集
岸本佐知子訳, 講談社, 2022

楽園の夕べ ルシア・ベルリン作品集
岸本佐知子訳, 講談社, 2024

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