ジーン・ウルフ、信頼できない超絶技巧


作品

プリングルズのひげ

 ポテチ売り場の棚にプリングルズを見つけるたび思い出す。堂々とした体躯に好々爺然とした顔、そしてあの立派なひげ。Wikipediaで「ジーン・ウルフ」の項にあるネビュラ賞受賞式の写真だ。

 SF作家、幻想作家、あるいは推理小説家、ときにはメインストリームの書き手とも紹介されるウルフはプラントエンジニアでもあった。インタビューによれば、プリングルズの製造設備のうち、"加熱調理する部分" を設計したらしい。(NovaExpress, 1998) 

 そんなこともあって、ついついプリングルズのヒゲと、ウルフのヒゲのイメージを重ねてしまい、一週間に一回くらいは町中でウルフに遭遇してしまうのである。

 初めてウルフの名前を目にしたのは、ローカスのファンタジーオールタイムベストを眺めていたときだっただろうか、トールキンや、ル・グインと並んで $${\textit{"新しい太陽の書シリーズ ------ ジーン・ウルフ"}}$$ と記載されていた。よく調べるとSFとファンタジーのランキング両方に同シリーズが載っていた。本邦では過小評価されているらしい。しかしそれっきり、ウルフに触れる機会がなかった。

 2021年、M・ジョン・ハリスンの『ヴィリコニウム〜パステル都市の物語』(書苑新社) が ”風の谷のナウシカの元ネタ” として喧伝されたことがあった。ナウシカ作中では、古代の都市層からのエンジン発掘が重要な産業になっているのだが、ヴィリコニウムにおいても「過去の文明の遺物」としてのテクノロジーがキーになっている。

 一度は栄えた文明が凋落し、中世世界めいたテクノロジーのレベルまで後退した、という点においては、新しい太陽の書シリーズも類似しているらしい……ということで同シリーズ5冊を取り寄せたところ、一気に読んでしまった上、結局、四周した。

太陽とウールス

 『拷問者の影』 (新装版 新しい太陽の書1, ハヤカワ文庫) の裏表紙のあらすじはこうだ。

 遙か遠未来、老いた惑星ウールスで〈拷問者組合〉の徒弟として働くセヴェリアンは、反逆者に荷担した疑いで捕らえられた貴婦人セクラに恋をする。組合の厳格な掟を破り、セクラに速やかな死を許したセヴェリアンは、〈拷問者組合〉を追われ、死にゆく世界を彷徨することとなる……。巨匠ウルフが持てる技巧の限りを尽くし構築した華麗なる異世界で展開される、SF/ファンタジイ史上最高のシリーズ。新装版でついに開幕

ハヤカワ文庫 SF ウ 6-5 新しい太陽の書 1

 今読んでもかなり面白いのだが、もしティーンエイジャーの頃に出会ったいたら、後々の読書傾向を変えるくらい嵌ったに違いないなぁ、出会っていれば良かったなぁと、なんともいえない感情を今も抱いている。個人的なドツボだったのだ。ニール・ゲイマンがベストに推すファンタジーであり、また、ダンジョンズ&ドラゴンズの『ダンジョンマスターズガイドブック』巻末で、DDに影響を与えた作品リストにも登場する。ニール・ゲイマンが推すならそりゃドツボだわ……。

 まず一読目は、"普通に" 面白く読める。ちょっと冗長だなとか、思わせぶりだな、よくわからないな、という箇所に時々遭遇する。終盤に差し掛かったとき、一気に伏線とギミックの存在に気がつく。読み終えるとすぐに二読目を始めるか、次の巻に進むか迷う。二読目、はじめは気が付かなかった細かなヒントや伏線に気がつく。同じシーンでも二重三重に意味がとれることに気がついて驚愕する。文字通り一行一行、一語一語に仕掛けがあるのだ。そのようにして5冊目『新しい太陽のウールス』の読み終えたとき、また、一冊目に戻る羽目になる。

 読了後も、電車やバスに揺られていると、唐突に新しい気づきがえ得られる事がある。そうやって、結局は解説書や研究所、webサイトを漁ってみて「そうやったんかいワレェ……!」と独り驚く。正直、地軸振動なぞ独力で考察できるレベルを超えているのだ。
   

"信頼できない語り手"

 ウルフの作品の考察の難しさは、"信頼できない語り手" が採用されていることにも由来する。語り手は嘘をつくかもしれないし、都合よく真実を編集するかもしれない。あるいは全くなにも語らないかもしれない。

 一般的な多くの「よみやすい」エンターテイメント作品は、作者が用意する「解答」が明示される。ヒントもまた明示的である。書店で十冊ランダムに取り上げたなら、九冊以上はこのような書き方ではないだろうか。

 一方で、ウルフは徹底的に曖昧さを利用する。もちろん解かれるべくして解かれる謎も存在するが、限りなく黒に近い白から、限りなく白に近い黒まで、無限の階調が存在する。マスクされた重要情報なのか、はたまたただのノイズなのか、簡単には見分けがつかない。ゆえに考察と深堀りに終わりがない。

 ウルフの技工がどれだけ周到で、どれほど細かな細工がなされているか、短編を読んでみるとよくわかる。『デス博士の島その他の物語』の一編を選んで繰り返し読んでみるとわかりやすい。そしてその短編に近い密度の技工を、新しい太陽の書のようなシリーズで発揮するのだから読む方はたまったものではない。すべてのセンテンスについて、表面的な意味をそのまま解釈してもよいのか、疑わねばならない。信頼できないのだ。

 その超絶技巧ゆえか、翻訳は非常に難しいという。未邦訳の作品は多い。The Book of the Long Sun シリーズ、The Book of the Short Sun シリーズですら未邦訳だ。お願いします、早川書房さん、国書刊行会さん、未邦訳を全部とはいわないまでも、主要な作品を出版してください。全集が出たら買います。

著作リスト

 邦訳が出ているもののうち、ウィザード・ナイトの <ナイト> のみ入手できず、図書館で読んだ。その他はすべて購入できた。下記のうち、『ケルベロス第五の首』は連作中編であるが一冊でひとまとまりの物語を成しているので長編とした。『書架の探偵、貸出中』は遺作であり、未完成だが、推敲される前のウルフの原稿を読めるという点で興味深い。

新しい太陽の書

『拷問者の影』 岡部宏之訳、ハヤカワ文庫、新装版2008年
『調停者の鉤爪』 同上、新装版2008年
『警士の剣』 同上、新装版2008年
『独裁者の城塞』 同上、新装版2008年
『新しい太陽のウールス』同上、新装版2008年

ウィザード・ナイト

『ナイトI』安野玲訳、国書刊行会、2015年
『ナイトII』 安野玲訳、国書刊行会、2015年
『ウィザードI』安野玲訳、国書刊行会、2015年
『ウィザードII』 安野玲訳、国書刊行会、2015年

長編 

『ケルベロス第五の首』 柳下毅一郎訳、国書刊行会〈未来の文学〉シリーズ、2004年
『ピース』西崎憲・館野浩美訳、国書刊行会、2014年
『書架の探偵』酒井昭伸訳、新☆ハヤカワ・SF、2020年
『書架の探偵、貸出中』大谷真弓訳、新☆ハヤカワ・SF、2020年

短編

『デス博士の島その他の物語』 浅倉久志・伊藤典夫・柳下毅一郎訳、国書刊行会〈未来の文学〉シリーズ、2006年
『ジーン・ウルフの記念日の本』酒井昭伸, 宮脇孝雄, 柳下毅一郎訳、国書刊行会、2015年
『ベスト・ストーリーズII 蛇の靴』アンソロジー、早川書房、2016年、
「列車に乗って」若島正訳を収録
『モーフィー時計の午前零時』国書刊行会、2015年
「素晴らしき真鍮自動チェス機械」柳下毅一郎訳を収録

エッセイ

Castle of Days (1992)
『新しい太陽の書』についてのエッセイ。
ウルフ自身による太陽の書の解説だ。

参考

Lexicon Urthus, Second Edition  Michael Andre-Driussi, Sirius Fiction, 2008

上記の本で Michael Andre-Driussi は
「太陽の書が黄金の書なら Castle of Days は白銀の書だ」と述べている。

ウェブサイト

検索するとジーン・ウルフ考察サイトはいくつか見つかる。


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